27. キャンベラ
Canberra



バイクが終わったか・・・

 アデレードで朝から落語を一席披露したあと東へ向けて出発、本当はビクトリア州のメルボルンへ

行きたかったのだが、バイクのエンジンがかなり不調になってきたのと、財布がもう底を突き

かけていたのでやむなくシドニーへ直行することに。

オーストラリアへ1年滞在した中で、ビクトリア州の州都メルボルンだけが唯一行けなかった州都となる。

非常に心残りだったが、無理をしても他人に大きな迷惑をかけることになってしまうだろうし、

「いつか来ることがあるだろう」と思ってメルボルンは残しておくことにした。

アデレードからキャンベラへ向かう途中、ほんのわずかだがビクトリア州をかすめて通る。

州都こそ逃したものの、州としてはオーストラリア全州を制覇したことになるか。

つまらないこだわりのようだが、僕は結構そういうことに力を入れてしまうタイプである。

アデレードから東へ向かう道は、これまでのような OUTBACK 的なところはなく、水の気配を

感じることができるような潤ったところだ。北海道を走るのと雰囲気が似ている。

アデレードから370kmほど走ったところでステップに妙な振動が起きるようになった。

買った時点ですでに超オンボロバイクだったのを、なんとか治療しながらここまで持ちこたえ

させて来ているのでいつ壊れてもおかしくない。4ヶ月も毎日乗ってきたバイクなので、少しでも

異変が起きればすぐに感じることができる。

ステップが妙な振動を起こしだしてまもなく、バイクが前へ進まなくなった。エンジンは快調に

回るのに駆動力がタイヤへ伝わらないのだ。

以前パースに入る直前にエグッチャンのバイクが似たような症状を発症、原因はミッションギヤが

壊れたことだったのを思い出して

「あちゃ〜 最悪や、ミッションギヤを修理するのには$2000ほどかかる。そんな大金はないし、

 それ以前にバイクをどうやってここから移動させようか・・・」

などと思いながらバイクを止めて点検してみたら、なんのことはない、ただチェーンがたるんで

はずれただけだった。 「あぁ よかった」

ついにシドニーまで1000kmを切った。




ひたすら走る

 アデレードから1日走って昨夜泊まったキャラバンパークを朝 7:10 に出発。

一人でのキャンプ生活と言うのは日が暮れると眠りにつき、日が昇ると目覚めると言うリズムになる。

みんなと一緒だった頃は朝ものんびりおしゃべりしたりしていたが、一人だと朝食を食べれば後は

出発するのみ。必然的に朝の出発も早くなる。

このあたりはこれと言った観光名所もなく、ただひたすら走り続ける。

バイクのオイル漏れがひどくなってきた。エンジンのシリンダーヘッドとシリンダーの隙間から

オイルが噴き出してくる、そのまま走っていると左足のブーツがオイルまみれになってしまった。

バイクのエンジンオイルは車と違って警告ランプはついていないので、自分で適時オイルの量を

確かめる必要がある。ブーツの汚れようからするとかなりオイルが噴き出して量が減っている

ようなのでエンジンオイルを足して、また走って噴き出して、そして足して と言うことを

繰り返していた。途中のホームセンターで液体ガスケットを買ってガスケットのあたりに

つけてみたが、今度は反対側の方から漏れてきた。

ツーリングの終点シドニーまではあと3日ほどで着く、オイルを携帯して追加しながらダマシダマシ

走っていくことにした。 夕方キャンベラに到着。

朝が早かったのと、どこにも寄り道するところがなかったのもあって、本日の走行距離 730km。

一日の走行距離としてはツーリング中最高記録となった。




人工都市 キャンベラ

 キャンベラはオーストラリアの首都である。 日本は東京に政治も経済も中枢が集まっているが、

オーストラリアは経済の中心はシドニー 政治の中心はキャンベラと分かれている。

このキャンベラ、オーストラリアの首都となるべくアメリカの建築家によって設計された

完全な計画都市である。川をせき止めて湖を作り、国会議事堂はじめ各国大使館や、

オーストラリア唯一の国立大学など公務員の街という感じである。

平日は人で賑わっている街の中心地も土日となるとまったく人通りがなくなり、店も閉まり

コンクリートのジャングルに紛れ込んだよう。


日本のNTTに相当するオーストラリアンテレコムの
テレコムタワーの展望台から撮った写真。

この街を設計したアメリカの建築家の名前をとって
湖はバーリー・グリフィン湖と名付けられた。


展望台のカフェでサンドイッチを食べる。
きれいなカフェにボロボロの薄汚い服を着た
僕はちょっと似つかわしくなかっただろう。









大きな森林地帯を切り開いて作ったような街。
巨大な建造物と整備された大きな道路、
そして豊かな水と緑。

同じ首都でも東京とはかなり違う。
なにせ何も無いところに街を丸ごと一つ
作り上げたのだから。








 キャンベラからシドニーへは 350km 、半日で着く距離だがせっかく首都へ来たのだから

少しゆっくり見て回ることに。今日一日は首都観光だ。

まずは戦争記念館に行った。とても大きな建物で、オーストラリアが参戦した戦争すべてに

ついて膨大な資料が展示してある。平和日本では日本を代表するような戦争記念館は

ないが、(あるいは靖国神社か)オーストラリアでは戦没者は丁重に葬られている。

第一次世界大戦は日本とオーストラリアは同胞、そして第二次世界大戦では敵国。

オーストラリアの艦船を日本が護衛している写真もあれば、日本軍に60回以上もの爆撃を

うけて壊滅したダーウィンの写真もあったり。

この戦争記念館は見応えがあった。やはり第二次世界大戦に関する展示が多くて

日本人としてはかなり心が痛むものがあるか・・・

二度と過ちは犯さないようにとの願いからか、国会議事堂と戦争記念館は向かいあって

建てられている。



戦争記念館から国会議事堂を望む。
写真ではよくわからないが、奥の三角上の
とんがったてっぺんにオーストラリアの国旗が
掲げてある。

奥に見える白い建物が旧国会議事堂。
その後ろに見える三角屋根の建物が
新しい国会議事堂。1988年建造。









戦争記念館の敷地内にある像。
赤いバラがつけられていた。

足を負傷した兵士をかばって連れて
歩く兵士。
実際にこのような光景があったんだろうなぁ
と想像すると痛々しい。













 戦争記念館の後は橋を渡って国会議事堂へ。

この国会議事堂は観光客が見て回れるようになっていて、入口には各国語で書かれた

パンフレットが置かれていた。もちろん日本語もあり。

そのパンフレットを見ながら国会議事堂を見て回る。大きく2階建てになっていて

2階が本会議が行われるところ。

日本と同じように二院制でイギリスにならって上院と下院に分かれている。

上院が日本で言う参議院、下院が衆議院的な意味合いのようだった。

この日、偶然にも国会の会期中で、会期中には一般の観光客も傍聴できるというので

早速本会議を傍聴することに。

難しい英語が多い会話のようであまりよく理解はできなかったが、日本と同じように

与党と野党に分かれて席配置があって、野党議員が質問に立って閣僚を攻めていると

言うことはよくわかった。

理解できたやりとりの一つに、観光省の観光大臣に対して野党議員が

「もっと日本からの観光客誘致に力を入れるべきだ。ホテル建設を望む」

と言っていたか。時折場内が笑いに包まれたりして、終始穏やかな雰囲気で本会議が

行われていた。 この後キャンベラには合計4回も行くことになるが、国会の本会議を

生で見たのはこの時だけだった。



グリフィン湖には高さ140mも吹き上げる
巨大な噴水がある。
湖の周りは芝生の公園になっていて、
世界のタワーの写真が飾られている資料館が
ある。もちろん東京タワーもあった。
ツーリング日記の最初の方の章に映っている
写真と比べてみると、強烈な紫外線にやられて
ボロボロになったジーンズが目立つ。
色も青色だったのに今ではほとんど真っ白に
なって。4ヶ月の月日を感じさせる。
アデレード以降、旅が終わりに近づく寂しさで
ずっと顔に覇気がなかった。
この写真も笑顔をつくることなく・・・


 一日キャンベラを観光した後、明日シドニーに帰るにあたって友達におみやげを買って帰ろうと

ワイナリーに行った。いくつか試飲させてもらったあと、渋めの味の白ワインを2本買う。

そしてキャラバンパークへ帰るが途中雨に降られて全身びしょ濡れに。

キャンベラのキャラバンパークは今まで見たことがないくらい賑やかだった。

たくさんの家族連れのキャンパー達がいて、ワイワイ楽しくやっている。

そのことがよりいっそう自分の孤独を感じさせられる。

ツーリング最後のキャラバンパーク、テントの中で今までの出来事が走馬燈のように

頭を駆けめぐる。

長かったツーリングもあと一日、明日は無事シドニーへ帰られるだろうか・・・

ラスト一日の無事を祈って眠りについた。




ついにゴールへ

 翌朝、曇り空で天気が心配だったが、のんびりテントを畳む。顔を洗って、コーヒーを飲んで、

テントを畳んで、荷物を整理して、バイクに積み込んで・・・

一挙動ごとに「あぁ これが最後かぁ」なんて思ってしまう。

朝食を買いにキャラバンパークの売店に行くが、子供達が楽しそうに走り回っているのを見て、

「俺も子供ができたらこんな風に一緒にキャンプしたいなぁ」なんて思っていた。

バイクの点検をし、オイルも補充していよいよ出発、キャンベラを後にした。

シドニーまでの道はとてもよく整備された自動車専用道路、日本で言う高速道路だが、

オーストラリアの高速道路は料金はいらない。日本のように過密状態で渋滞なんてまったく

ないので、普通の道自体が高速道路みたいなもんだが。

途中サービスエリアがあり休憩、マクドナルドがあった。大きなスタンドでペトロを補充。

例によって「ツーリングでの最後の燃料補給かぁ」なんてね。

シドニーまでの距離を示す看板の距離がだんだん短くなってきた。もうすぐシドニーだ。

「英語学校で仲良くなった友達はみんなまだいるだろうか・・・」

だんだん都会らしくなってくる。ビルが見えてきた、時刻はまだお昼前。

見覚えのある町並み、あぁついに戻ってきた、俺の第二の故郷シドニーだ。

たくさんの人、たくさんの車、立ち並ぶビル、この人間の気配がなんともたまらない。

キャンベラにいる時にシドニーの友人には連絡していた。旅を終えたら居候させてほしいと。

その友達は自分が通っていた英語学校にまだ通っている、学校は昼までで終了するので

学校の前にバイクを止めて友達が出てくるのを待っていた。

そして終業のベルが鳴る、たくさんの生徒が出てくる。

ボロボロのバイクとボロボロの服を着た僕、満載の荷物、何人かは長期の旅をしてきたことが

わかったようで声をかけてきた。

そして友人が出てくる。名前はトシさんと言って、シドニー出発を見送ってもらったのだが、

ツーリングの道中、偶然にもエアーズロックでばったりと会った友達。(エアーズロック参照)

「いやぁ久しぶり やっと帰ってきたよ。 やっぱシドニーは人がいっぱいおってええなぁ」

大きなことをやり遂げたという充実感と安堵感でいっきに体がゆるむ。

放心状態に近かったか。

そしてトシさんの家に行き、荷物を一つ一つ下ろしていった。

129日間の長い旅が、ついに旅が終わった。 

1周している間に積んでいた荷物。
手前左のうす茶色のバッグにはすべて工具類が
入っている。右の小さなリュックはバイクを
置いての小旅行に利用。
出発前は濃い赤色だったが紫外線で焼けて
ピンク色に。奥の青いシートが入っているバッグ
はキャンプ用品が。そして写真には写って
いないが、もう一つ大きなバックパックを積んで
いた。(それが一番大きい積荷)
ヘルメットはケアンズで床屋ライダーから譲り
受けたもの。
旅先で出会ったたくさんの仲間のサインが
入っていて今でも大切に保管してある。



2年がかりで書き上げたツーリング日記、ようやく完結しました。
いままで読み続けてくれたみなさま、どうもありがとう。
後書きもあります。下のNEXTボタンをクリック。


ツーリング写真館もどうぞご覧ください

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