どこまでも行けると思った
2005/12/18 UP

 私は中学3年生から自転車にのめり込み、高校卒業するまではひたすら自転車少年と

して過ごした。自転車少年になったきっかけは・・・

中学3年生の時の9月1日、夏休みが終わり、久々に学校へ出てきた日。2学期の初日と

あって、その日のクラスメートの座席配置は出席番号順に座ることとなった。私は出席番号

15番、そしてたまたま16番で私の後ろに座った友達(通称ブデン)との会話から私の人生が

変わる。

  ROOKIE : 夏休みも終わったけど、明日日曜日でまた休みやし、なんか暇やなぁ

  ブデン : 始業式終わったらどっかキャンプにでも行くかぁ・・・

  ROOKIE : でも、遠くに行くんやったら金いるしなぁ・・・

  ブデン : 自転車で行けば金かからんで。

  ROOKIE : でも俺、遠乗りできるような自転車持ってへんし。

  ブデン : 俺、すっげぇボロっちいけどもう一台サイクリング車ウチにあるから貸したるわ。

  ROOKIE : ほんまに?? (^-^) じゃぁそれで行こう!! んでどこ行く?

  ブデン : じゃぁ和歌山へ行ってみよか。

始業式終了後、ブデンと集合し、寝袋とキャンプ用のガスコンロだけを積んでお昼前に

和歌山へ向けて出発した。自分ちがある大阪市から和歌山駅までの距離は約70km。

片道約7時間ほどで到着し、駅前の人混みの中、恥ずかしげもなくガスコンロでお湯を

沸かしインスタントラーメン(しかもカップではなくて袋入り)を2人して食べ、駅前の

バスターミナルのベンチで寝袋で寝て、翌朝再び大阪へ走って帰った。深夜の駅前には

暴走族が集結し、騒音もさることながら危なげな雰囲気でかなり怖くて、実際に我が身に

トラブルも発生してしまったのだが、大きな問題にはならずに翌日無事に家に帰ってきた。



 小学校5年生の時に父親の会社がある兵庫県の三田市(片道約42km)へ自転車で

1人で走っていったのが初めての遠乗り、そして今回の和歌山で自転車での遠乗りに

かなり自信がついた。和歌山へ行った時と同じ9月に、

自転車で京都の保津峡へもキャンプ

へ行き、私は自転車ツーリングへの不安がなくなった。



 自転車で遠くへ行くことが楽しくなってきたのだが、問題は自分の自転車を持って

いなかったこと。ドロップハンドルでたくさん変速がついているサイクリング車は当時は

5万円くらいして、とても自分で買えるものでもなかったし、また4人兄弟なのもあって

親に買って貰うと言う選択肢は考えられなかった。(笑)

しかし私の希望が天に届いたのか、願っていればなんとかなるものである。粗大ゴミの日に

自宅近くで捨てられているボロボロのサイクリング車を発見。どう見ても拾って帰ろう

なんて思う人はいないくらいボロボロだったが、走って曲がって止まれば私にとっては

それでも宝物、チェーンもなくタイヤもパンクしているヒドイ状態だったが、家まで押して

持って帰ってきた。友人のブデンと四苦八苦して再生し、見てくれを覗けばなんの問題も

なく走れる自転車に。(^-^) その自転車、ナショナルの自転車だったけどなんて名前

だったかなぁ・・・ 中学3年の時は、友人達の間でも自転車での遠乗りが流行っていて

私以外にもたくさん仲間がいた。そのうちの1人に父親が塗装工場で勤めていると言う

友達がいて、そこのお父さんに頼んで自分の自転車も塗装してもらった。

高校に入ってもしばらくその自転車に乗っていたのだが、毎月の用に自転車マニア向けの

雑誌(サイクルスポーツと言う本でした)を読んでいると、知識はたくさんついて来る

もので、だんだんいいモノが欲しくなる・・・でも買うお金はない。(笑)

そんな時、高校の先輩から声がかかった。

「ユーラシアが粗大ゴミで捨ててあったから拾ってきてんけど売ったろか?」

と。粗大ゴミを売ろうと言うその先輩もなかなかの商売人だったが、そのユーラシアと

言う自転車、当時で新車だと \75800 もする高級車で、私にとっては十分価値の高い

ものだったので、買うことに。たしか8000円で買ったはず。(笑)

そのユーラシアも捨ててあるくらいなので相当ボロボロだったが、高校1年の私は

すでに自転車職人だったので(笑)再生するのは簡単だった。

念願の本格的ツーリング車を手に入れて嬉しいったらありゃしない。(笑)

当時はブリジストンの他にもミヤタ、丸石、パナソニック、片倉など自転車メーカーが

それぞれサイクリング車を出していたがブリジストンを例に取ると、

  
 ロードマン  5万円台   大衆車
 ユーラシア  7万5千円台   長距離ツーリング車
 アトランティス 10万円台   マニア向け高級車

とラインナップがあり、中堅のユーラシアでもフレームの頑丈さやパーツの細部に

至るまでロードマンとはかなりの違いがあり、ユーラシアを所有する満足度は

私にとってはかなり高いものだった。



これがブリジストンのユーラシアツーリング
タイヤの左右に着いている四角い枠は、キャンプ用の荷物を
取り付けられるように後から着けたもの。
この時点でハンドルとサドル、ペダルに変速機をグレードアップ
させ、ボトルゲージ(水筒を着ける枠)も2つつけ、長距離
ツーリング車としての改造が着々と進んでいた。

                      1986年1月 妙見山頂にて撮影


 ゴルフでもスキーでも車でもなんでもそうだが、趣味の世界では知識が付けば付くほど

いい物が欲しくなってくる。高校時代の私は自転車の知識だけは相当に身につけていたので

なんとかして自転車をグレードアップさせようと、お小遣いのほとんどを自転車のパーツに

つぎ込んでいた。(笑) ちなみにアルバイトは禁止されていたが高校ではアルバイトも

していた。(先生ゴメンナサイ・・・)

粗大ゴミから拾ってきたこのユーラシア、高校3年になるころにはもう元の自転車が何だったか

わからないほどの改造ぶり。(笑)

私の自転車は、超カスタム車だったので仮に新品パーツを使って同じ自転車を

作った場合、自転車の値段は15万5千円くらいになる計算。実際は中古パーツを

多用して作ったので私の出費は5万円くらいだったが。

自転車の改造に中古パーツを多用しているにもかかわらず5万円もかかったと言うと、

普通に考えたら「新車で買えるやん」となりそうだが、長距離ツーリングとなると

荷物満載の状態で毎日平均100kmほど走るわけで、各パーツのグレードが安価な

大衆車用か、マニア向けかの違いは自分の体でよーく実感でき、ブランドパーツの

所有満足度の高さもあって私にとっては値段分以上の価値は十分にあった。



 高校の3年間で走った距離はどれくらいだろう・・・

1年の時にコンピューター内蔵の精度の高いスピードメーターを買って、1986年の元日に

積算距離計をゼロにセット。そしてその年の12月31日に積算距離を見ると9621kmだった。

365日で割ると、一日平均26kmほど走っていた計算になる。よく走ったものだ。

京都や神戸はそれぞれ10回以上行ったかなぁ。淡路島も5回も6回も行った。

大阪北部の妙見山へは高校の間だけでも自転車で25回登った。六甲山は10回くらい

だったか、その他にも福知山へ3回、姫路へも3回、北海道ツーリングと九州ツーリングも

行き、それはもう自転車とは切っても切れない関係になっていた。実家は大阪市の

北部だったが、梅田や難波、天王寺などへ遊びに行ったり買い物に行くのは自転車で

行くのが当たり前だった。

道が続いてさえいれば、日本中どこへでも、たとえ何千キロ離れていても自転車で

行けると思った。



 しかし不思議な事に、それほど好きだった自転車が高校卒業後にはイッキに熱が

冷めてきた。それは高校卒業と同時にバイクへ興味が移っていったからだった。

20歳になる頃にはバイクの限定解除免許も取得し、高校時代の愛車にはもうまったく

乗らなくなっていた。今思うと寂しいことだが・・・

高校の2コ下の後輩から自転車を売って欲しいと頼まれ、1万5千円で

売却。そこで私の自転車人生は終わった。

自分の青春時代にいつも一緒だった自転車、いろんなところへ一緒に行き、

数え切れないほどのたくさんの思い出を一緒に作った自転車。

山道や峠を登る時、頂上や峠まで一度も地に足を着かずに登ると言うことが私の

自転車仲間でのステイタスで、そのおかげでずいぶんと根性がついたのだった。

今の自分の人格形成にも、自転車で鍛えた根性は大いに影響があったと思う。

今は車で出かけるのが当たり前の生活になっているが、長時間の運転で疲れても、

自転車で走っていた時のことを思い出すと、しんどいなんてとんでもない話で、

そう思うと疲れも吹っ飛ぶ。(笑) 坂道を人力で上がるのがどれほど大変かと言う

ことを自分の体で知っていることを嬉しく思う。 アクセルペダルを軽く踏むだけで

いくらでも登ってくれる車を運転していてしんどいなんて言っていたら、昔の自分に

合わせる顔がない。(笑)



 昔を思い出して今年の5月に自転車で大阪まで320kmを走った。

高校を卒業してからは、自転車で遠乗りなんて一度もしたことがなかったので

実に18年ぶりの長距離ツーリング。

高校時代の長距離ツーリングでは、どこへ行っても自分よりも荷物をたくさん積んだ

自転車はいないと言うくらい、フル装備で横綱級の重量で走っていた。

自転車と積載荷物を合わせた合計重量が54kgもあった。ちなみに大学生の

自転車部などが夏休みに合宿で長距離ツーリングをする場合でも、だいたい自転車と

荷物の重量合わせて30kgくらいだと思うので、54kgと言うのはとても贅沢なキャンプ

生活ができたのだった。

が、今年の大阪までのツーリングでは、荷物はほとんどなし、計測はしなかったが

おそらく装備重量は自転車も含めて17〜18kgくらいだったか・・・それでも

荷物満載だった高校時代よりも遙かに遅いペースでしか走ることができなかったのは

さすがに年を取ったんだなぁとひしひしと感じた。



かつての愛車の写真を見ていると、もう一度自転車を作ってみたくなったり・・・

バイクでオーストラリアをもう一度走る夢も叶っていないのに、やりたいことばかり

増えてきて大変です。(笑)


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