プラットホームのカブトムシ
2001/5/29up

貧乏旅行

 中学1年生の時の夏休み、今度は九州に行く計画を立てた。

すでに時刻表の魔術師となっていた私はいかに短期間で九州内の国鉄線全線走破できるか

毎日パズルのような列車乗り継ぎ計画に没頭。

炭坑が栄えていたころに張り巡らされた福岡県内の超ローカル線をいかに接続よく

まわるかが今回の決め手だった。

鉄道仲間の一人が立てた計画では14日間で九州内全線走破。

「もう少し早くできへんかなぁ、日数がかかるとその分お金もかかるしなぁ。」

といろいろパズルを組み合わせた結果、10日間で全線走破できる計画ができあがった。

「これで完璧や、もうこれ以上は短くならへんわ」

ちなみに当時(1982年)の僕の予算では、九州10日間の旅で総費用 ¥20,000

大阪〜九州の往復と、九州全域20日間乗り放題がセットになっている

九州ワイド周遊券が¥9950、宿泊はすべて夜行列車か、あるいは

駅の待合室で寝るつもりなので宿泊費ゼロ。

あとは1日¥1000の食費、10日間で合計¥20,000となる。

ジュースやお菓子なんかは一切買うこともなかったし、駅の立ち食いそばでも¥200ほど

だったので一日¥1000あれば十分な食事代にはなった。



一人じゃない

 今回の九州旅行、小学生のころからすっごい仲良しだった友達が親の承諾を

得ることができて一緒に行くことになった。

ただ、友達の都合で一緒に大阪を発つことができず、九州で現地集合ということに。

さらに友達が・・・、前回アップした文章に書いた青函連絡船で知り合った3つ年上の

人とも一緒に行くことになって彼は広島県の福山市在住なのでそこに寄って

向こうもまた2人連れで行くことになったので合計4人、(九州までは3人)

九州に入った2日目、約束通り門司駅に友達が現れて無事合流。

中1の時に、初めて行く地でしかも500q以上も離れた地で友達と待ち合わせするのは

かなり不安があったが、そこは無事クリアー。

福山からの2人はこれまた都合で5日間ほどで帰って行った。

残りの5日間は僕ら2人での旅行となった。




教頭先生

 旅行に行く前、できあがった計画を持って友達に見せていたら一緒にいた別の

友達がその計画に書かれている地名を見て

「あっ 伊崎田やっ 俺 伊崎田小学校に通っててん」

なんとびっくり、その友達は転校生で以前は鹿児島県の志布志から少し山に入ったところに

あるそれはそれは小さい小学校に通っていたのだ。

私の計画では乗り換えのためでもなくなんの用事もない駅だが、そこらへんの

どこかで何時間もつぶさなければ行けない行程だったので

たまたま伊崎田駅でゆっくりしようと書いてあったのだ。

「じゃぁ伊崎田小学校に行って写真を撮ってくるわ」 と約束した。

そして九州旅行の後半、予定通り伊崎田駅へ。

駅前に商店が一軒あるだけ、それ以外はまったく家もなんにもないようなほんとに田舎って

感じの駅。その商店で伊崎田小学校の場所を聞いて、3〜4qほどあったけど歩いていった。

夏休みだったので生徒はいなかったが、草刈りをしているオジサンが一人だけいた。

まだ幼い僕らは自分からもなかなか声も掛けられず、校庭をうろうろしていると

「君たちどうしたの?」

友達の母校と聞いてやってきたといろいろ話していたら、そのオジサンは教頭先生で

学校の横に家があるので泊まっていきなさい・・・と。

僕らの計画通りにすすめて行くためにはその日の夜行列車に乗らないといけなかったので

夕食をごちそうになって8時頃に駅まで送ってもらうことに。

教頭先生にしてみてもびっくりしたやろうなぁ。

山の中のほんとに田舎の小学校に大阪の中学生が2人、なんのあてもなくやってきたんだから。

余談になるけど、そこの近くで財布を落としたらしくあわてて交番に行ったら

さっき落としたばかりの財布がもう届いていた。都会じゃぁこうはいかんやろうなぁ

旅先ではほんといろんな人にお世話になってます。

田舎の人はほんと優しい人が多いよ。



夜の伊崎田駅

 夕食を終え、夜7時過ぎに教頭先生に車で伊崎田駅に送ってもらった。

他に汽車を待つ人はいない、薄暗いホームに裸電球が灯っている。

汽車を待っている間、友達と2人でプラットホームをうろうろしていた。

そこでみつけたものは・・・

カブトムシ!!

都会の下町育ちの僕らにとってカブトムシはスーパーや百貨店で買うもの。

売り物以外のカブトムシなんてただの一度も見たことなかった。

それが目の前にいる。

「うわぁ なんて ええとこやぁ カブトムシがタダで自分のものにできるなんて」

うれしくてそれを持ったまま汽車に乗った。

「大阪まで持って帰られるかなぁ」

なんて話していたけど夏のローカル線、エアコンなんてなく汽車の窓は開いている。

ちょっとしたスキに逃げていってしまった。

「あーあ もったいなかったなぁ」




 1987年、国鉄からJRになる時に伊崎田駅があった志布志線は廃止になった。

もうあのプラットホームで汽車を待つことはないだろう。

2度と戻れない、夏の思い出・・・

教頭先生は今も元気でいるだろうか・・・


                      おしまい


2004年12月にも伊崎田駅に行って来ました。


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