00. バイク購入



バイクツーリングのきっかけ
 

 ワーキングホリデービザでオーストラリアへ渡ったのは私が23歳の時だったが、なぜワーキング

ホリデーでの渡豪を思い立ったかと言うと、それ以前に日本中のほとんどをすでに旅していたから。

また、高校時代の同級生達で1人旅なんてしていたの私くらいだったが、その同級生達が

大学生になり、バンバン海外旅行へ出ていくようになったのを見て、「ようし、俺も・・・」と思ったから。

渡豪前から「バイクでオーストラリアを走ろう」と思っていたわけではなかった。

渡豪してホームステイから始まり、語学学校へ通うこと10週間。ビザの規定で学校へは10週間以上は

行ってはイケナイことになっていたので、語学学校を終えた後の私はやることがなくなってしまった。

さて、次は何をしようか・・・ 学校もない、仕事もしてない、なんにもやることがない日々は本当に

つまらない。そこでなんとなく思いついたのがバイクを買って旅に出ると言うことだった。




バイク屋さん巡り

 さて、まずはバイクを入手しなければ。

日本からの留学生向けの事務所がシドニーにあり、そこへ行くとすでにバイクで旅を終えた

日本人のワーキングホリデー渡豪者がバイクを売りに出しているメモが何枚か貼ってあった。

「個人売買でも結構高いなぁ・・・」 私は2000ドル程度の中古車を探していたのだが、

オーストラリアでの中古車の相場は、その他生活必需品や食料の物価と比べるとやや高めだった。

しかも日本では考えられないくらいの長い走行距離の中古バイクがあたりまえなのにも驚いた。

 次にバイク屋さんで下調べ。日本から持っていったガイドブックでシドニーのバイク屋さんが

紹介されていたのでそのガイドブックを頼りに電車に乗って郊外のバイクやさんへ。

シドニー中心地のセントラル駅から南へ4つ目の"Sydnham"駅で降り、少し歩くとお目当ての

バイク屋さんがあった。(^_^) いろんなバイクが売られていたが、でもやっぱり高いのね。

600ccの中古オフロードバイクでも5000ドルくらいしてた。とても買えません・・・(ToT)ダー

早々に諦めて他のバイク屋へ。シドニー中心部にあるバイク屋さんで見つけたのが

NX650(ドミネーター)、走行44000kmで2750ドル。 今思えばこのバイクを買っておけばよかった

のだが、私はバイクの整備知識については結構な自信があり、オンボロバイクを格安で買って

自分で整備して乗るようにすればもっと安いバイクでも大丈夫・・・と思っていた。

予算オーバーだったので、結局そのバイクも買わずじまいだった。




個人売買

 今の時代はインターネットで、例えばヤフーオークションのように個人売買の巨大な

市場があり、大抵の物が簡単に個人売買できるようになった。

しかし1993年当時はインターネットなどまったく普及していない。シドニーには

「トレーディングポスト」と言う個人売買専用の新聞みたいなものが毎週木曜日に

発売されており、それでもバイクを探してみることに。

木曜日の朝、どんなもんかなぁ・・・と早速トレーディングポストを買って見ると、

w(゜o゜)w オオー! すごい数のバイクが出ているではないかっ!! (^_^)

パッと見た感じ、バイクだけでも100台以上は掲載されていた。

インターネットと違い、文字だけの情報なのでバイクの外見は一切わからない。

バイクの状況を表す言葉として、最も状態が良いのが「エクセレント」、次が「A1」とか

簡潔に表すための専門用語みたいだったが、たくさん見ているとすぐに理解できるようになった。

2000ドル前後のオフロードバイクを探す・・・( ・_・)ジッ

2000ドルと言えばかなり安い価格なので、個人売買でもなかなか見つからないのね。

「おっ、これ結構ええんちゃうん」

って思ったバイクの持ち主に電話をかけてみる。

当然英語で話さなければならない。語学学校で10週間の授業を終えた後だったとは言え、

見ず知らずの人と顔も会わさずに電話で個人売買の交渉をすると言うのはものすごく

度胸がいることだった・・・

個人売買の時の会話方法なんて持っている英会話の本にも載ってないし・・・(;^_^A アセアセ

でも電話をしないことにはバイクを買うこともできない。

思い切って電話をしてみる。緊張の一瞬・・・

「もしもし、トレーディングポストを見て電話かけています。バイクの話をしたいのですが」

と言うと

「残念、もう売れてしまったよ」

と。( ̄□ ̄;)!! 初めての電話はあっさり終わってしまった。(笑)

一度かけてみると度胸が着くもんで、その後他のバイクの持ち主にも電話をしてみたが、

4〜5台分いろいろかけてみてもどれも「もう売れてしまいました」

と言う返事・・・。やはりお買い得でいい物は誰が見てもいい物なんだなぁ・・・と思った。



 トレーディングポストは毎週木曜日の朝10時発売だった。気合いを入れ直して翌週の

木曜日午前10時前、駅の売店に行く。ちょっと早めに行ったので、時間になるまで

売店前をウロウロしていて、発売された瞬間に購入、すぐにバイクの欄に目を通した。

高い買い物になるのでじっくりと検討し、これだと決めたバイクの売り主へ公衆電話から

電話をかけてみる・・・

「もしもし、トレーディングポストを見て電話してます。」

といつもの出だしで始まる。しかし相手の返事は「残念、もう売れてしまったよ。」

だった。w(☆o◎)wガーン 発売直後に買って30分もしないウチに電話したのにもう売れて

しまっているとは。(ToT)ダー

その朝、他の何台かにも電話してみたが、どれもすでに売れた後だった。

バイクの個人売買、かなり盛んなんやなぁ・・・。

いい物を安く手に入れるのは簡単ではないと言うことがよ〜くわかった。(笑)



 その後アパートに帰ってゆっくり考えながらもう一度新聞を見てみる。

バイク屋さんで探すよりも、このトレーディングポストの方が種類も多く、値段も安い。

やはりバイク購入はこのトレーディングポストに頼るしかない。

よさそうなバイクを見つけては、根気よく何回でも電話してみた。

そして10台目くらいの電話だったかなぁ・・・何回ベルがなっても誰も電話に出ないので

夜になってからもう一度かけ直してみた。それでもまだ誰も出ない、夜10時くらいに再度

電話してみたら女性が電話に出てきて

「今何時だと思ってるの・・・(-_-メ)」って・・・(^^;; ヒヤアセ すいません。(;^_^A

バイクを売りに出していたご本人さんは翌日の日中ならいるとのことで、明日を待つことに。

そして翌日、そんなに早くもない時間帯に(笑)電話をかけてみると、

「バイクうちにあるんで見に来る?」との反応。

\(^o^)/バンザーイー まだ買うと決まったわけではないが、とりあえず一歩進んだ

ことがとても嬉しかった。(^_^)

電話でその人の家の最寄り駅やだいたいの場所を聞き、待ち合わせの時間を約束して

現地へ向かう。シドニー中心部から電車で30分もかからない、ボンダイジャンクション駅

が最寄りの駅だった。駅についてから、本屋さんで地図を立ち読み。(笑) あらかじめ

控えておいた住所がどのアタリになるのか、番地から地図上での位置を探す。

本来は地図を買えばいいのだが、経費節約のために立ち読みして地図上での相手の

家の場所を脳ミソに叩き込み、記憶を頼りに行く戦法。(笑)

無事に目的の家にたどり着き、声をかけると家の人が出てきた。




すっごいオンボロバイク

 家の中へ呼ばれていろいろ話をする。売り主はイスラエル人で、オーストラリアに

出稼ぎに来ていて、イスラエル人同士複数名でそこの家を借りて住んでいるとか。

バイクの話を聞きに来たのだが、世間話でも結構盛り上がっていた。

ROOKIE : 「イスラエルってかなり小さい国で、しかも周り中が敵国だらけやのに
         どうしてあんなに強いのか?」

売り主さん : 「周り中が敵だらけだからこそ、自分たちが強くならなければいけないって
          思いができる、だから強いんだよ。」

ユダヤ人の強さが伺い知れた一瞬だった。

またこの時、渡豪前はまったく英語が話せなかった自分が、イスラエル人を相手に

世間話ができるようになっていたことが自分でも驚きだった。

「俺、この3ヶ月ほどだいぶ頑張ったかな・・・(^_^)」って頭の中で思った。

そして肝心のバイクの話へ。早速現車確認をさせてもらう。最初に見た瞬間

「うわっ!! やっぱ安いだけあって相当古そうやなぁ・・・」って思った。

メーターを見ると走行距離が6万キロを越えていた。しかもメーターは分解してまた

組み直した後がハッキリわかる。(笑) 走行距離をかなりごまかしているかも。

実際に自分で運転もさせてもらった。異国の地で初めて乗るバイク。バイクの調子を見るのが

本来の目的のハズだが、オーストラリアと言う日本から遠く離れた異国の地を、ほんのわずか

とはいえバイクで走ったっと言うことが嬉しくてたまらない。「うわぁ〜 感動やぁ〜」

家の周辺の数分間試乗させてもらったのだが、これから何万キロも自分が乗るであろう

バイクをわずか数分程度乗ったくらいで本当の調子がわかるはずもない。

だがしかし、バイクでの旅を思い立ち、バイクの入手を試みてからこの日を迎えるまでの

時間と労力は相当なものだったのもあって、「これでいいや」と気持ちが固まっていった。

先にも書いたが、自分はバイクの整備知識に関してはかなり自信があったので、

とりあえずエンジンさえ動けば後はどうにでもできると思っていた。

オンボロバイクだったがために、後で想像を絶する大変な苦労に遭うとも知らずに・・・

 トレーディングポストに 2100ドルで売りに出されていたので、記述通りにその場で

2100ドルを払う。契約成立と言うことで向こうから握手を求められ、お互いにがっしりと

力を込めて握手する。ちなみに車種はヤマハの "XT600 TENERE"1983年式。

分厚いサービスマニュアルも持っていたので、それも一緒にもらった。そのサービス

マニュアル、油でだいぶ黒く汚れているところがあったので、このイスラエル人、自分で

結構いろいろ整備してたんだなぁ・・・。クランクシャフトのベアリングを自分で変えたって

言ってたな。日本じゃそんなことバイク屋さんしかしないけど、自分で何でもやるところが

オーストラリアなんだなぁ。

実際、このイスラエル人だけではなく、私がホームステイしていたファミリー達も、車でも

カメラでも出来る限り自分で分解、修理しようと言う感じだった。壊れたらすぐに捨てるか、

お金を払って専門業者に修理や整備を頼む日本とはそのへんだいぶ違う。




名義変更

 自分のアパートに乗って帰って、まずは名義変更から行った。日本で言う陸運局みたいな

事務所へ行き、名義変更の書類にいろいろと記入する。 もちろん名義変更なんて自分で

したこともないので何をどうしていいかさっぱりわからない。おぼつかない英語で窓口の

女性スタッフに「バイクの名義変更をしたいんですけど、初めてでわかりません。何をすれば

いいのか教えてもらえますか?」とお願いする。 カウンターの上にある数種類の書類のうち、

名義変更用の所定の様式の書類を教えてもらい、とりあえずわかる範囲をなんとか記入。

意味がわからない単語は携帯していた辞書でその場で調べ、相当な時間がかかったが

なんとかそれらしき体裁が整った。(笑) それを窓口へ提出すると、先ほどのスタッフが

記入漏れの箇所とその書き方を丁寧に教えてくれた。 言われた通りに書き直して再提出、

今度はバッチリ。自分の名義になった車検証 

(現地ではレジストリ、省略してレジと呼ばれている)

を受け取り、名義変更完了。やったねっ!! やればできるやんっ!! (^_^)




致命的な欠陥・・・

 さて、バイクを入手し、名義変更も済ませて晴れて自分の物となった。国際免許証も予め

準備してきていたので、これで大手を振って堂々とオーストラリアをバイクで走ることが

できる。(..)(^^)(^。^)(*^o^)(^O^)ウレシーーーー!!!

初めての給油もドキドキした。オーストラリアでの給油はいわゆるセルフ式である。

今でこそ日本でもセルフ式のスタンドが普及しているが、当時は日本にはセルフ式の

スタンドはまだなく、自分でペトロを入れるのも初めてだ。

オーストラリアで経験することは何もかもが初めてだったが、こうやって日々一つずつ経験

を重ねていく。 

 ある日の日中、バイクで軽く町を流してこようと走っていると、どうも排気ガスが濃い。

黒煙が混じっている。イスラエル人からバイクを買って乗って帰る時も、なんか黒煙が

吹いてるなぁ・・・とは思っていたが、排気ガスのニオイからして間違いなくオイルも

一緒に燃焼していることがわかった。このままではどんどんオイルが減っていき、最悪の

場合はエンジンが焼け付いてしまう。そうなったらエンジン積み替えだ・・・

これからオーストラリアを一周しようと言う時にバイクがこんな状況ではお先真っ暗・・・(*_*)

オイルが上がってるってことはピストンリングが摩耗しているのか、あるいはシリンダーに

傷が付いているのか・・・

いずれにしても、自分で修理できる範疇を越えていたので、シドンハムのバイク屋さんに

持っていってしばらく預け、調子を見て貰うことにした。

数日後、再びそのバイク屋さんへ行く。

ROOKIE: 「バイクの具合はどうですか?」・・・

バイク屋さん:「シリンダーに大きな傷ができてしまってて、ボーリングが必要だね。」

ROOKIE:「修理代、いくらくらいかかりますか?」

バイク屋さん:「だいたい1700ドルくらいかな」

( ̄□ ̄;)!! 1700ドルっ!! バイク買ったのが2100ドルやのに修理費に

1700ドルもかかるんやったら、最初っからバイク屋でまともなバイク買ってた方が

よかったやん・・・w(☆o◎)wガーン

後悔先に立たず。この時のショックは相当なもので、今も忘れられない。

安物買いの銭失いとはまさに私のことです。(*_*)

しかもシリンダーの傷は修理してもらったものの、バイク自体が相当あちこちガタが来ていて

その後の旅に間にも相当の修理費がかかったのだった・・・

これから渡豪してバイクでオーストラリアを走ろうとする若者達に、私が新車を強く

オススメする理由はここにあります。新車は最初は高いけど、一周を終えた後のリセールバリュー

も非常に高く、また新車はメーカー保証が付いているため、旅の途中で不具合が起きても

旅先のショップで無料で修理してもらえたりと、一周するために支出した総費用で言うと

新車の方がかなり安く済むのはほぼ間違いない事実です。



 今からこのオンボロバイクを売って、また別のバイクを買い直すなんてもうできない・・・

もうこいつ(バイク)に命を預けるつもりで再起不能になるまでトコトン俺が修理してやる。

心機一転、じっくりと日数をかけてこのテネレを整備することにした。




出発準備

 バイク屋さんでシリンダーのボーリングをしてもらい、バイクを受け取った後、2週間くらい

かけていろいろと出発準備をしていた。まずはバイクの細かいところ。フューエルコックが

錆びていたので新品を注文して交換。ウインカーのスイッチが取れてなくなっていたので、

割り箸を加工してスイッチを自作。シートがボロボロだったので、布製のガムテープを貼って

とりあえず応急的に修繕。チェーンやスプロケット、エアークリーナーの掃除。キャブレターは

分解して中まで掃除。キャリアも錆びてボロボロだったのでホームセンターでスプレーの

塗料を買ってきて塗装。

バイクの方がだいたいカッコがついてきたら、次はキャンプ用品の準備だ。

テントとマット、コッヘルは日本人留学生事務所の掲示板で張り出されていた個人売買でみつけた、

車でオーストラリア一周の旅をしてきたと言う日本人女性に売ってもらった。

工具類はホームセンターでそれなりに揃えた。(結構たくさん買いました)

金銭的に余裕がないので基本的になんでも中古品で・・・と一所懸命探していたが、

キャンピングストーブ(調理用コンロ)だけは欲しい物が見つからず、スポーツ用品店で

新品を購入。コールマンのピーク1って言うストーブでたしか70ドルくらいだったはず。

寝袋とバイク用のブーツは日本に置いてきた自分の物を親に送ってもらった。

日本でも16日間かけての北海道ツーリングの経験があったので、バイクでの長旅に

どんな物が必要かはだいたいわかっていた。

バイクの整備もやれることはやった、旅に必要な物も一通り揃った。後はいつ出発するかだ。

仕事もしているわけでもなく、学校へ行っているわけでもないので、何月何日に出発

するかと言うのは自分で好き勝手に決められる。

初めてオーストラリアに渡ってから2ヶ月間はホームステイ、その後1ヶ月半ほどは韓国人と

アパートで共同生活、そして旅の出発直前は2週間ほどだったか、語学学校のクラスメートの

アパートにタダで居候させてもらっていた。いつまでもダラダラとしていても、そのクラス

メートに申し訳ないので、準備が整ってまもなく出発することにした。



こんなオンボロバイクで大丈夫だろうか・・・

旅を初めて2〜3日ですぐにバイクが壊れて走れなくなるんじゃないか・・・

とてつもなく広いオーストラリアの大地を走る走り通すことができるんだろうか・・・

せめてエアーズロックまではこのバイクで走っていきたい・・・




バイクで旅に出る時は、心躍らせ、胸が弾むような気持ちで旅立ったライダーもたくさん

いたのかもしれないが、自分の旅立ちの瞬間は希望よりもはるかに巨大な不安を抱えていた。

浮かれない顔のまま、1993年8月9日にシドニーを出発した。


この章は2008年2月12日に追加更新しました。


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