根性試しの福知山
2005/03/13 UP

たった一日の夏休み

 中学3年生の時、私は新聞配達をしていた。6年生から始めた鉄道旅行の規模が

だんだん大きくなっていき、潤沢な資金を必要とするようになったことからだ。

自宅から10分ほどのところにある新聞配達所へ朝4:00までに出勤。近所の同級生も

同じところで働いていたので3:45に待ち合わせしていつも一緒に行っていた。

午前4時だと8月ならまだ暗い、出勤途中に自転車を漕ぎながら夜空を見上げると

冬の星座であるはずのオリオン座がいつも見えていた。私は星を見ることがとても

好きなので夏にオリオン座が見えると言うのはちょっと得した気分で嬉しかった。

今の新聞配達員は週に1日は休日があるようだが、20年前の配達員には定期的な

休日と言うものがなく、新聞休刊日以外はすべて勤務日。40日以上ある夏休みの

間でも、新聞配達所へ行かなくてもよかったのはたったの一日だけだった。

中学3年生の1年間は私の人生の中でも唯一塾に通っていた1年間。

朝3:30起床でそれから新聞配達をし、自宅へ帰るのがだいたい6:30、朝食を食べ

学校へ行き、放課後は体操部のクラブ活動、そして帰宅後、夜には毎日塾へ通い、

塾から帰ってくるのが22時過ぎと言う超ハードスケジュールの毎日だった。

塾ではよく居眠りをしていたが、先生は

「ずいぶん夜遅くまで勉強してるんだなぁ、よく頑張るヤツだ」

と感心していた。が、実は新聞配達のせいで眠たかったのである。(笑)

もちろん塾の先生には受験生である私が新聞配達をしているのは内緒にしていた。

8月初旬に新聞休刊日があった。夏休み中で唯一泊まり掛けで遊ぶことが

できる日だった。

もともと旅行が好きな私はこの休日を逃すはずもなく、友人と2人で泊まり掛けで

福井県の若狭湾へ泳ぎに行くことにした。4日の朝刊配達後すぐに汽車に乗って海へ

向かい、泳いだ後は近くの駅の待合室で一晩明かそうと言う作戦。いわゆる駅寝だ。

海水浴の後に友人と2人で

どこの駅で寝ようかなぁ・・・

と相談していたが、当時の自転車の師匠だった友人「ブデン」は福知山駅で駅寝した

ことがあると言う話を思い出し、彼の家に電話して聞いてみた。

待合室の席には座布団が敷いてあり、結構寝やすいとの話で、

「じゃぁ今晩は福知山駅で寝ることにするわ、ありがとう」

と言って電話を切った。



 ここはどこ?

駅寝はこれまでにも何度もしたことがあったので、別段緊張することもなく、

終列車が出た後は他の客もほとんど居なくなるので、持参した寝袋を広げ、

駅の待合室の片隅で横になった。このまま朝までぐっすり・・・のはずだったが・・・

深夜に眠っている私の腹をトントンと叩いて起こす者がいた。

寝ぼけながらも

「う〜ん、一体誰なんだ・・・」

と目をこすりながら起きてびっくり!! 夕方に電話で話していたはずのブデンが

目の前にいるではないか!! 自分たちが住んでいる大阪市淀川区から福知山駅までの

距離は116km、なぜ彼が今ここにいるのだ??

話を聞いてさらに驚く、夕方私たちが電話で「福知山駅で寝ることにするわ」と

言ったのを聞いて、多分ROOKIE達は福知山駅にいるはずだろうと言うことを期待して

驚かせるために電話を切った直後からすぐに自転車で福知山へ向かってきたらしい。

電話をしたのが17:30、そして彼に起こされたのが23:30。6時間で大阪市内から

福知山まで自転車でやってきたのだった。

私達が電話で「福知山駅で寝ることにするわ」とは言ったものの、事情が変わって

他の駅に行っていたかもしれない。いるかどうかも分からないヤツを驚かせる為に

116kmもの距離を自転車で、しかも夜に一人で走ってきたと言うブデンの行動力には

本当に驚かされた。私の頭にはその時の事が強烈に刻まれた。



どんな思いで走ったのか・・・

 時は過ぎて私は高校1年生に。受験勉強からも解放され、志望校へ入って

余裕が出てきた5月、ブデンのことを思い出しながら

「夜に一人で6時間もぶっとおしで走っていくのってどんな気持ちなんだろう、
 自分だったらあきらめずにできるだろうか、6時間で着けるだろうか」


と言う疑問が出てきたが思い立ったが吉日、土曜日の夜に自分で試してみることにした。

ブデンと同じ17:30に家を出る、自転車でひたすら北上する。国道176号線で池田市へ、

そして173号線に入って兵庫県川西市から大阪府能勢町、だんだん山へ入っていく。

能勢町まで来るとほとんど家もなく、あたりは真っ暗。さらに進んで天王峠の峠道を

登り出すと本当に真っ暗で人も車も全然通らないほどになった。これはかなり寂しい。

しかも強烈な上り坂が延々と続くのでキツイ。こんなところをブデンは走っていたのか・・・

峠を越えると下りが続き、距離を稼ぐのが楽になる。しかし山道で周囲にはほとんど

何もなく、真っ暗で寂しさが募るのは変わらない。もう半分以上は走ったはずだ・・・

国道173号線と9号線の交差点の角に交番があった。久々に見る灯り、中には

お巡りさんが居るのが見えて、自分以外に近くに人間がいることが心の底から嬉しく、

道を尋ねると言う口実で交番へ入っていった。

ROOKIE : 「すいません、福知山までここからどれくらいかかりますか?」

お巡りさん : 「そうやねぇ、40分くらいかなぁ」

ROOKIE : 「えっ? そんなに近いんですか? あの〜 自転車なんですけども・・・」

お巡りさん : 「ええっ!! 自転車かいなっ!! うーん、自転車やったら3時間
            くらいかかるかなぁ・・・」


ROOKIE : 「そうですか・・・わかりました。ありがとうございました。」

あと3時間もかかるんかぁ、遠いなぁ・・・と思いながら自転車を走らせる。9号線に

出てすぐの看板に「福知山36km」と書かれていた。頑張れば2時間で着けそうだ。

幹線国道である9号線は深夜でも大型トラックがバンバン走っている。その横を

1台の自転車が走り続ける。街灯りが多く目立つようになってきてまもなく、福知山市に

入り、無事に福知山駅に到着することができた。到着時刻はちょうど24:00

自宅を出てから6時間半だ。ブデンは6時間で行ったので私の方が30分余計にかかった

と言うことになる。自分でも結構休まずに飛ばして走ってきたつもりだが、さすがは

ブデン、これよりもまだ30分も早かったのか・・・

深夜の福知山駅で前回とは違い今日は一人での駅寝だ。のどかな田舎の駅だった

当時の福知山駅では高校生が寝袋で駅の待合室で眠っていても、駅員さんに

怒られたり追い出されたりすることはなかった。



ブデンに勝つべく

福知山駅で一晩明かした翌朝、帰宅の途へついた。来た道をそのまま戻るのも

おもしろくないので、帰りは国道176号線を走って帰る。この国道176号線、自分の家の

すぐ近くを走っている国道で、家のそばの道路看板に

「豊中6km 池田12km 福知山116km」

と書かれていて、この道をず〜っと走ると福知山へ着くのかぁ・・・と子供の頃から

思っていた道だった。その176号線をようやく自分の足で走ってみる日がきたのだ。

行きと違って朝から走り出し、まるまる一日日中を走り続けられるので、帰りは

観光や休憩をしながらノンビリ帰る。国鉄福知山線とほぼ同じルートで、道中いろんな

駅に寄っては休憩していた。

この自転車福知山行、一度やれば自信がつくもので今度行く時はブデンの6時間を

越えるぞ・・・と思った。

高校1年生の間に自転車で福知山へ単独で行くこと3回、いずれもブデンの記録と勝負

すべく自宅出発は午後5時30分。(笑) 3回目にしてようやく6時間で行くことができた。

今なら車で走っても一人だと寂しくてちょっと・・・と思ってしまうことだろう。

一人で夜中の国道を延々と走り続ける・・・常に体力を全開で出し切って行動する

そういった子供の頃の経験が今の自分の人格形成に多少ならずとも影響を与えて

いるような気がする。

自分でこの文章を書きながら、

「年を理由に楽してたらあかんなぁ、どうしたROOKIE、今のお前はそんなものか」

と思った。まだまだ全開よ〜 e(^。^)g_ファイト!!


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