どうやって帰ろうか・・・
2004/10/10 UP

突然の誘い

 大学1回生の夏休み、百貨店で事務のアルバイトをしていた。そのアルバイト先に

卒業旅行で北海道にいるクラブの先輩から電話がかかってきた。

「おぅ ルーキチぃ 俺ら今北海道におんねんけどお前も来ーへんか?」

「はい、行きます。」

事前に北海道で合流すると言う約束があったわけでもなく、ほんとに突然の誘い。

先輩方も私のフットワークが軽いのを知っているので「あいつなら来るだろう」

と思って電話をかけてきてくれたのだろう。

上下関係の非常に厳しかった落語研究会、大先輩から直々に誘いを受けるなんて

とても光栄で有り難き幸せ・・・(笑)



行きは便乗

 北海道の大学に進学した私の友人が大阪に車で帰省していて、ちょうどまた北海道に

戻ると言うのでそれに便乗させてもらうことに。

京都の舞鶴港からフェリーに乗り、北海道の小樽港に着くのが翌々日の朝5時。

30時間のフェリーの旅はなかなか楽しい。

先輩と待ち合わせの約束の朝7時前に札幌駅に着き、大阪から一緒に来た友人と

別れ、そこからは先輩と行動を共にする。

先輩は2人組で、1BOXカーにキャンプ用品を積んで北海道を周遊しており、私も

一緒にテント生活をさせていただくことになった。



楽しい一時

 キャンプ場にて・・・

マイナーなキャンプ場であまり旅行者はいなかったが、地元の中学生が先生と一緒に

団体で来ていた。炊事場で先輩と一緒に夕食の準備をしていると、中学生の女の子達も

やってきて挨拶から始まり、すぐにうち解けて会話が弾む。

「わぁ この人達大阪弁しゃべってる〜」 とか言われてまるで見せ物のよう。(笑)

「大阪って松ちゃんとか浜ちゃんとか普通に街で見かけたりするんですか?」

なんて感じで大阪と言う未知の世界への興味津々。かわいいもんだ。

ここのキャンプ場では他にもチャリダーとも仲良くなり、旅も終わりだそうで

余っている青春18切符を一枚譲ってもらった。この18切符が後に重要な役割を

果たすことに・・・



帰りは1人??

 私が合流した時点で先輩方の旅も終盤、そろそろ帰りの話も始まる。

先輩 : 「俺ら、フェリーで帰るから、ルーキチ小樽でお別れやな。見送ってもらおか」

ROOKIE : 「ええっ!?」

先輩方、北海道へ行く時に陸送でずっと行っていたので帰りも同じように帰るものだと

勝手に思っていた。大阪までずっと一緒に帰れると思っていたのと、来る時も友人に

便乗させてもらっていたので所持金に交通費のことはまったく考えていなかった。

帰りのフェリーに乗るために小樽の港に着いた時、私の所持金 \3800 (笑)

先輩 : 「ルーキチ、お前大阪まで帰れるか?」

ROOKIE : 「ヒッチハイクでもなんでもやって帰るんで大丈夫です」

先輩 : 「ほな、タオルとマジックペンやるからこれに『ヒッチハイク』ってでかく
       書いたらええんちゃうか。」


ROOKIE : 「はい、そうします。ま、とにかくなんとしてでも帰るので大丈夫ですよ〜」

自分自身、ヒッチハイクで帰ることになんの不安もなかったので結構気楽な

もんである。むしろおもしろい経験ができそうやなぁとワクワクしていたくらい。(笑)

午前10時出航のフェリーを岸壁から見送る。フェリーが見えなくなると急に寂しく

なってきたが、気持ちを切り替えて先ほどのマジックペンを使って白タオルに

「ヒッチハイク」と大きく書き込んだ。よ〜し、あとは気合いで大阪まで行くぞっ!!

そこで一つ思い出した、先日譲ってもらった青春18切符が1枚あるではないか。

宮城県の仙台までなんとかお金を使わずにたどり着けばあとは18切符で大阪まで

帰れるや〜ん。(^^) 青春18切符とは全国のJR線で普通列車に限り1日乗り放題

の切符である。これまでにも何度も利用している切符なので初列車から終列車まで

フルに乗ればどれくらいの距離を行くことができるかはわかっていた。



ヒッチハイク

 小樽港から国道まで出て、少しでも進もうと歩きながら通りがかりの車にヒッチハイクの

サインを出す。みなさんはヒッチハイクしたことありますか? 15年も前の話なので

今ほど物騒な世間ではなかったが、それでも見知らぬ人を易々と車に乗せてくれる

ような人は少ない。何台もサインを出すけどなかなかみなさん止まって

くれないのね・・・(ToT)  最初の車は1ボックスカーをレンタルして家族旅行に来ていた

人達。乗せてくれるような人はもちろん優しくていい人がほとんどなので車の中でも

和気藹々と会話が弾む。

小樽から函館に行くまでに5台の車を乗り継いだか・・・

長万部あたりで乗せてもらっていた人は

「ここを通る時はいつも寄るラーメン屋があるんで一緒に行こうか」

と言う、本当はわずかな所持金を大切に使いたいので外食するのはチョット

痛いなぁ・・・なんて思っていたけど、乗せてくれている人の話を断るわけにも

いかないので2人でラーメン屋さんに入った。この時の食事はワリカン。(笑)

でもその人が必ず寄ると言うだけあって、海の幸いっぱいのすごいラーメンだった。

その後、実は大阪から北海道へ行く時に乗せてくれた友人が私の話を聞いて

函館から100kmほどのところまで迎えに来てくれていたのでそこから函館までは

再会した友人に乗せてもらった。

そして函館着、フェリーはさすがにヒッチハイクできないので普通に乗船券を

買う。\1500くらいやったかなぁ。 青函フェリーは乗船時間3時間50分。北海道大好き

ROOKIEにとっては北海道を離れるのもこれまた寂しい。



長距離トラック

 青森港に着いて・・・

このフェリーにはトラックがたくさん乗っていて、これに乗せてもらうしかないと思った。

フェリーでやってきたトラックは南に向かうことがほぼ間違いないし、長距離を走る

トラックが多いので、運がよければ1台でイッキに東京まで行けるかも・・・

なんて期待しながら例のタオルでフェリーから続々降りてくるトラックに向かって

ヒッチハイクのサインを出す。

でもやっぱりそんな簡単には乗せてくれる車ってないんよね〜 (ToT)

ヒッチハイクしてるのが一人旅の女の子なら止まってくれる人も多いんやろうなぁ・・・

なんて思いながら10台、20台とサインを送り続けていると、一旦は通り過ぎた

トラックがUターンして戻ってきた。もしかして乗せてくれるんかなっ!!

希望の光が出てきた。(^^) そのトラックは私の前で止まり

「にいちゃん、どこまで行くんやっ」

「大阪まで行きたいんですが、南の方面ならどこまででもいいので乗せて
 もらえないでしょうか?」


「仙台まででよかったら乗ってってもいいで。」

やった〜 \(^o^)/ 仙台まで乗せてもらえると言うことは、あとは18切符を使って

大阪まで行けるのでもう大阪行きは保証されたようなもん。(^^)

そのトラックは北海道の遠軽から野菜を積んで盛岡と仙台の市場へ運んでいる

ところだった。トラックの助手席に乗って国道4号線をひた走る。トラックの運ちゃんって

とっても大変な仕事のよう。フェリーの中で仮眠とった以外は寝ずにずっと遠軽から

走り続けていて、助手席からたまに運ちゃんの方を見ると半分以上目が閉じてるっ!!

ほんとに眠りながら走っているようだった。

青森を出てしばらくしたところで日が暮れて、途中のドライブインで夕食を取る。

ここでは運ちゃんがおごってくれた。 ありがたや〜



野菜を運ぶ

 青森を出て4時間くらい走っただろうか、夜8時頃盛岡の市場に着いた。

ここで積荷のうちのいくらかの野菜をおろす。

運ちゃんはフォークリフトに乗り、自分がその手元って感じで野菜をおろすのを

手伝った。こうやって頑張って運んでくれる人達がいるからスーパーで簡単に

いろんな物が買えるんやなぁ、感謝感謝。 日本の物流はよくできていると思う。

盛岡を出たトラックは再び国道4号線を走り続ける。ちなみのこの国道、日本一長い

国道である。高速道路は非常に料金が高いのでほとんど使うことはないらしい。

そして深夜2時頃だったか、仙台の市場に到着。ここでも同じように荷下ろしを

一緒にする。学校の教科書で野菜の産地だとか物流のこととか習うが、実際に

自分で経験すると一番わかりやすいし記憶にも残るもんだ。

市場で野菜を卸し終えた後、運転手さんにお礼を言う。市場から仙台駅まで

どれくらいの距離があるかわからないが、たとえ5km、10kmあったところで

歩いて行けない距離でもなし。たかが知れてる。

「駅まで遠いけど大丈夫か?」と運ちゃんも気を遣ってくれるが、もう十分お世話に

なっているので「大丈夫です。ありがとうございました。」と深々と頭を下げて

市場を去っていった。



後は楽勝

 交番で尋ねたり道路の看板を見ながら真夜中の仙台市内を駅へ向かってひたすら歩く。

思ったよりも駅は遠い・・・6kmほどあったかしら。睡眠不足の体には結構堪えた。

疲れて休み休み歩いたのもあって、仙台駅に着いたのはすっかり明るくなっていた

朝6時。駅に着いて時刻表を見ると6:30くらいだったかに南へ向かう普通列車が

初列車のようだ。JRでの移動となるとROOKIEは水を得た魚のようになる。(笑)

12歳の時から一人旅を続けていたので仙台から大阪までなんて目をつぶっても

行けそう。(笑) 仙台駅で電車に乗ったROOKIEは安心したのもあってあっと言う間に

眠りに落ちる。ヒッチハイクの時は運転手さんに遠慮をしてほとんど眠ることはなかったが、

鉄道でなら遠慮なく眠ることができる。(^^) 仙台から東北本線で南下、

東京から東海道本線で西へ西へと何本もの普通列車を乗り継いでいき、22:30頃

大阪駅に到着。そして阪急電車に乗り換え23時頃ようやく自宅に着いた。

「あぁ〜 やっと帰ってきた。 おもろかったわぁ」 と帰りの様子を親に話した。(笑)



こんな旅、またやってみたいけど若い学生さんがするのと違って35にもなるオッサンが

ヒッチハイクなんてますます怪しくて誰も乗せてくれへんやろうなぁ・・・(笑)





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