国道2号線 前編
2003/7/27UP

  1987年3月、私が高校2年生から3年生に上がる時の春休みの話。



 中学時代を鉄道少年で過ごしたROOKIEは中学3年生の時に知り合った同級生の

影響ですっかり自転車少年に変貌していた。高校2年の夏には北海道ツーリングを達成し、

高校生の間に九州も制覇しておこうと受験で忙しくなる3年生になる前に行く計画を

立てる。



 その中学3年の時に私に大きな影響を与えた人物、この旅の思い出のコーナー

にも何回か登場している通称「ブデン」

彼は中学卒業後、高校へは進学せず、バイトして金が貯まるとすぐに旅に出て、

ひたすら自転車で日本中を旅していた。

大阪に住んでいる者が北海道や九州を旅行すると言う場合、自転車でもバイクでも、

あるいは自動車でもたいていはフェリーで行くと言うのが普通だと思う。だがブデンは

違っていた。15歳にしてバイトで生計を立てると言う元祖フリーターである。

彼は時間に追われると言うことがなく、北海道だろうが九州だろうが常に陸送で自転車

で走って行ってた。そんな彼に刺激を受けて・・・



 最初の話に戻って、今回のROOKIEの九州ツーリングは九州まで陸送で行くことを決意。

コースは国道2号線。この2号線、大阪駅前の1号線の終点でもある梅田新道の交差点

から始まり、九州の門司まで続いている日本で4番目に長い国道。ただひたすら2号線を

走っているだけで何の迷いもなく確実に九州へ到達することができる。

うちの家からだと直接2号線へ向かえば早いのだが、天下の国道2号線をせっかく

延々と走るのだから、ここは起点から終点まで自転車で全線走破してやろうと梅田新道

まで出ていくことにした。約15kmほど遠回りになるか。

そして3月16日午前7時出発、荷物満載で総重量54kgの自転車に乗って九州を目指す。



 国道2号線と言えば思いっきり幹線国道だ。当時はまだ山陽自動車道が全然でき

あがっていなかったので、物流の主である大型トラックは中国自動車道か2号線を

走るしかなかった。それはもうすごい交通量で24時間ひっきりなしに大型トラックが

走り抜けていく。立派な歩道に片側2車線などの部分はほんとの大都会だけで、

ちょっと走るともう片側1車線で歩道もないような道に。

一日走ると排気ガスで顔から首から真っ黒。(笑)

自転車ツーリングは体調や天候によって走行距離が左右されるため、もともと計画などは

立てていない。体力と根性が続く限り走って、日が暮れたところが宿泊場所となる。

それに道中でおもしろそうな観光地があれば寄ってみたくもなるし。

とにかく時間に追われることのない勝手気ままな旅である。

大阪から100km地点の姫路まではかつて何度も走ったことがあったので気分的にも

楽にハイペースで走っていく。そこから先はアップダウンの連続。

これと行って見所もなさそうな山陽路、朝7時から夜7時まで走りに走って初日は岡山駅

に到着した。本日の走行距離約170km。

昔からの鉄道少年の心が強く残っているせいかどうかはわからないが、日本中

どこへ行っても近くの駅を休憩場所に選んでしまう。(笑)

新幹線も通っている岡山駅は言うまでもなく都会で、キャンプするようなところは近くに

見あたらない。駅前のバスターミナルのベンチ(屋外)で寝ることに決めた。

寝るところが決まったと行ってもまだ夜の7時、最終バスが出るまではそこを占拠する

わけにはいかないのでまずは晩ご飯を取ることに。

ほかほか弁当やさんへ行って「からあげ弁当2個ください」 (笑)

小柄なROOKIEだが一日中自転車で走っているとそれくらいは軽〜く平らげてしまう。

腹の皮つれば目の皮たるむ と言う言葉のとおり、食べると眠たくなってきた。

しかしかつての経験からして、県庁所在地クラスの大きな駅には深夜になると

暴走族や走り屋さんが集まって来ることが多い、夜も更けるまで待っていたがどうやら

この日は集会はなさそうだ。(笑) 寝袋に入ってバス待ち用のベンチで横になった。


国道2号線 中編に続きます。 いつアップできるやら・・・


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