ヤッターマン
2002/6/19up

 大阪から京都府北部の町、福知山へ向かう路線で福知山線と言うJR線がある。

大阪駅に乗り入れる列車は僕が子供の頃でももちろん電車ばかりで、エンジンで走る気動車や

ディーゼル機関車が牽引する客車列車などはめったになかった。

その中で唯一、福知山線だけが非電化で大都会の玄関である大阪駅に

ディーゼルエンジンの油煙を燻らせていた。

私の父が勤めている会社(今月定年退職)がその福知山線沿線にある、

兵庫県の三田市と言うところにあって、たまに車で遊びに連れて行ってもらったり、

大阪では珍しいディーゼル機関車牽引の客車列車が見られるとあって、

会社近くの田圃や踏切でカメラを持って列車の写真を撮ったりしていた。

子供の頃の私の常識では線路は高いフェンスで囲われていて、数分おきに電車が通り、

危険極まりないところで絶対に立ち入れないところ、

また立ち入ってはならないところだった。

ところが父の会社近くでの国鉄福知山線沿線は、線路にフェンスがない、踏切があっても

遮断機がない、また警報機すらないところもあった。

線路の上を歩くことができる、レールに直接触ることができる・・・

なんともいえない嬉しさ、たとえ赤さびで手が汚れようとも、レールを触ることが

できるというのは自宅近辺では踏切以外では絶対にできないことだった。



 その福知山線、中学生になると友達同士で電車に乗ってあちこち遊びに行くようになる。

近場でローカル線の気分を味わえる福知山線は友達も好きなようで、何人かして

福知山線に乗って遊びに行ったりもした、目的地に行く手段として列車に乗るのではなく、

列車に乗ること自体が目的。当時の福知山線の普通列車は先頭でディーゼル機関車が牽引し、

後ろは全部客車という編成、しかもその客車が今では考えられない手動扉で車両によっては

開きっぱなし。

今でも地方や寒い所へ行けば、手動で開閉するところもあるが走行中は半自動で

きっちりしまっている。それに対して当時の福知山線の客車はスライドして開く

扉ではなく、ドアノブをひねって客車の内側に開く扉、完全な手動である。

文章で表すのはちょっと難しいが、つまり列車走行中も扉が開きっぱなしなのである。

この扉部分には、両側に手すりが付いていて、走行中にその手すりにぶら下がって

体を車両の外側に乗り出す、これがスリル満点で友達とよくやっていたのである。

ここでこの章の題である「ヤッターマン」・・・

タイムボカンシリーズの2番目に出てきたのがこのヤッターマン

アニメの絵にあるように片手で手すりをつかみ、体を乗り出す格好。(笑)

その格好が似ていることから友達の間で、走行中の列車の扉から体を乗り出すことを

ヤッターマンと呼んでいた。これがまた怖いんだ。トンネルあり、鉄橋あり、時にはのびている草木

にあたりそうになることも。なによりも万が一手が滑ったら列車から転落して命の保証はない。

だから車掌さんに見つかったら絶対に怒られる。(笑)

とっても危険な遊びであったが、なかなかスリル満点で楽しい遊びだった。



 この福知山線、国鉄がJRになる直前の1986年に電化され、それまでの客車列車は廃止、

代わって都会と変わらない電車が走るようになった。

大阪から約40kmの距離にある兵庫県三田市、人口増加率日本一の都市でものすごい勢いで

開発が進んでいる。子供の頃、田圃の中にポツンとあったうどん屋、写真撮影の後いつも

父とそこでうどんを食べて帰っていたが、今ではそこには新しい駅ができて、三田市の

玄関口としてにぎわう地域になっている。想像もできないほどの変貌ぶり。



 運賃が高い、本数が少ない、スピードが遅いと三拍子そろった大阪では珍しいローカル線だった

福知山線、宝塚以北はしばらく武庫川渓谷沿いを走り、河原で遊んでいる人達と

窓越しに手を振ったり振られたり・・・

単線非電化から複線電化へと発展し、窓に背を向けて座る座席配置の電車、

空調が利いていて窓を開けることもない電車が高速で走る。

河原の人と、その場限りのコミュニケーションは今は昔の話・・・



おしまい


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