一宿一飯の恩.2
2001/9/26up

洗濯しなければ

 今までは鉄道旅行の話が多かったけれども、今回は自転車旅行でのお話。

1987年3月、春休みを利用して九州ツーリングをしていた時のこと。



 鹿児島県の西部に出水市というところがある。ツーリング途中そこを自転車で

走っていたのだが、何日も走り続けていて洗濯をそろそろしなければと

コインランドリーを探しながら走っていた。結構大きな町だったので簡単にみつかるだろう

とのんきに考えていたけど予想に反してまったくみつからず。

たまたま通りがかったところにあった八百屋さんのおばさんに

ROOKIE : 「すいません、どっかこのへんにコインランドリーないですか?」

八百屋さん : 「いやぁ 多分この市内にはないんじゃないかねぇ」

(°◇°)~ガーン まさか、これだけ大きな町にないとは・・・

ツーリング中は一日中自転車で走っているので、車の排気ガスや汗やほこりで

あっというまに服が汚れてしまう。当時の長距離チャリダーの間では

西日本の自転車ツーリストはまるで浮浪車のよう・・・

と言われていたほどなので、決してこぎれいな生活をしていたわけでもないけど。(笑)

八百屋さんの返答でがっくりしていると、あわれに思ったのか親切な八百屋さん

「うちの洗濯機貸してあげるからうちで洗っていきなさい」 と。

オコトバに甘えさせてもらうことにした。そして洗濯が終わって衣類をたたんでいると

「そのままでは濡れたままでしょう、うちで乾かしていきなさい」 

それは泊まっていきなさいってことやん、さすがに見ず知らずの人に

そこまでしてもらっては申し訳ない、と言う気持ちがあったので遠慮していたのだが、

話を聞くとそのおばさんの息子さんはなんと 北海道から鹿児島まですべて歩いて踏破

したことがあるというすごい経歴の持ち主。新聞にも載ったそうな。

「うちの息子も旅先ではほんといろんな人に世話になってきたのよ、だから

私らも旅の人の気持ちがよくわかるの」

申し訳ないような気もまだあったけど、泊まらせていただくことにした。



近所の高校生

 その時 時刻はまだ午後3時、野菜の配達に出ていたその息子さんが帰ってきた、

とってもいい人でいろいろ話がはずむ、夕方までまだ時間があるのでお店の手伝いをさせて

もらうことに。

トラックに乗って一緒に配達したり、店のゴボウの皮を何十本もむいたり・・・

その息子さんは近所の高校生と仲良しのようで、夕方になると3人の高校生が

遊びにやってきた。 大阪とは若干春休み期間が違うようで話しを聞くと明日が修了式とか。

夜は八百屋さんの家族や息子さん本人に徒歩旅行の様子や写真をたくさんみせてもらった。

部屋にはゴール地点に到達して住民に大歓迎を受けている息子さんの写真がパネルにして

飾ってある。

自転車で大阪から延々と走り続けてきただけでも相当の根性と体力が必要なのは

自分でよーくわかっていたが、上には上がいるもんだとあらためて実感した。

そして翌朝・・・

八百屋のみなさんに深々と頭をさげてお礼の述べ、出発しようとしたとき、夕べ

一緒に遊んでいた高校生のうちの一人がやってきた。

ROOKIE : 「えっ? 学校行かなあかんのちゃうの?」

高校生 : 「15分くらい遅れたってどうってことないさ」

修了式に遅刻覚悟で僕の出発をわざわざ見送りに来てくれたのだ。

感激のあまり体が震える。 ほんまええやつやなぁ・・・



さらに驚くべきことが

 出水市を出発して国道3号線をひたすら南下していた。のんびり走っても一日100kmくらい

進んでいく。

日も暮れかかってそろそろ泊まるところを考えんとなぁ・・・ なんて思いながら走っていると、

うしろから大きな声が。 振り返ってみたらなんと!! 昨日お世話になった八百屋さんの

トラック!!高校生も一緒に乗っていた。

ROOKIE : 「どうしたんですか? びっくりした〜」

八百屋さん : 「いや、忘れ物してたから届けに来たんだよ」

忘れ物と言うのは雨の日用のナイロンの手袋。値段にして¥1000ほどか。

八百屋さんには出発の時に「このまま3号線を南下していきます」とは言うてあったけど、

まる一日あればさっきも書いたように100kmくらいは進んでいる、しかもどこかに寄り道して

いるかもしれないし、予定変更して違う道を進んでいたかもしれないのに。

八百屋の仕事を終えたあとその忘れ物を届けにひたすら走ってきたらしい。

あぁ・・・ どこまでいい人達なんだろう。



 旅先ではいつもお世話になりっぱなしのROOKIE、いつか恩返しができるときがくるだろうか。


おしまい


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