さらに遠くへ 前編 2001/3/14up

やっぱり一人

 卒業旅行というのは昔からあったのだろうか。自分自身がそんな言葉をまだ知らない

小学校を卒業する時、春休みを利用して北海道へ行く決意をした。

学校で同級生何人かに声をかけてみる。

「なぁなぁ 一緒に北海道行かへん?? 2人でとかどう?」

と言っても返ってくる返事はいつも決まっていて

「そんなん子供だけで行けるわけないやん」

まぁ予想はしていたのであっさりと一人で行くことに決めた。

今度の切符は北海道ワイド周遊券。初めて使う種類の切符、今はもうその周遊券は

なくなってしまったが、内容はと言うと、大阪から北海道までの往復切符に北海道全域、しかも

特急、急行20日間乗り放題が一緒になっていると言うもの。

3月なら冬季割引が利くうえに子供料金なので値段は¥13000ほどやったか。

とにかくお得な切符だった。



急行きたぐに

 21世紀を迎えた今、長距離の移動と言えば飛行機が当たり前の時代になってきた。

だが1980年代前半はまだまだ国鉄の長距離列車がたくさん残っていた。

「急行きたぐに」もその一つ。大阪発 青森行き、所要時間はなんと19時間。

夜行列車と言えば夜出て朝つくものと思うところだが、この列車は夜出て夕方に着くという

延々と走り続ける列車だ。

大阪駅22:10発、2回目の一人旅になるが、母親はやはり心配なのか大阪駅まで

見送りに来てくれた。この後数え切れないほどの旅行をしていくことになるのだが、

母親が見送りに来てくれた旅行はこれが最後だった。

この先何時間も乗り続けられるうれしさで、深夜になっても目が冴えていた。

福井県あたりは完全に夜中だが、時刻表を見て停車時間が何分もある駅では

毎回ホームに降りてうろうろしている。落ち着きがないのは昔からのようで。(笑)

その後寝たり起きたりを繰り返していただろうか、時間の流れとともに確実に

北へ北へと向かっていく。山形県で日本海が見えるところを走っていた。

どんより鉛色の空に合わせたような薄暗い色をした海。人気のなさを感じた。

大阪を出て19時間、「まもなく青森に到着します」と言う車内放送を聞いて

「えらいところまで来てしまったもんだ」なんて思ったかなぁ。

大阪ではまず見ることができない一面の雪景色を見て、自分が遠くまで来たことを実感する。

石川さゆりの「津軽海峡冬景色」を地でいっているよう。違うところといえば

夜行列車が「上野発」ではなくて「大阪発」ってことくらいかなぁ。

こんな遠くへ来たのは初めて、こんな大きな船に乗るのも初めて、なにもかも

初めての経験だった。そして青函連絡船に乗って初めて本州を離れた。

時は 昭和57年3月。初めての北海道へ。


      つづく・・・・




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