1982年1月1日  2001/1/22up

 運転台

 上の日付は初めてちゃんとした1人旅をした日。5日間の行程で1月5日に家に帰ってきた。

小学校4年生のころには分厚い時刻表を完全に読みこなしていて、春、夏、冬休みの度に

親に「旅行行きたい、1人で行かせて」って懇願していた。

でもさすがに親のほうもまだ4年生の子供を1人で何日も見知らぬ土地へ行かせるのは

心配だったらしく、なかなか行かせてくれない。

ずっと言い続けて2年間、6年生の時の冬休みについにO.K.の返事をもらった。

「やった〜 ワーイ\(^o^))/…\((^0^)/ワーイ」

早速時刻表を見て計画を立てる。

大阪〜金沢〜直江津〜長野〜東京〜房総半島〜東京〜大阪

と全部で5日間の行程。何時にどの列車に乗ってどこで乗り換えするってのも

5日分全部決まってパーフェクト。

家の近くに国鉄の大きな操車場があって、車庫に出入りしている特急や急行列車を

いつも羨望のまなざしでカメラを持って写真を撮っていた。

「いつもは見送ってばかりやったけど、ついに乗れる時が来た!!」

1月1日、大阪駅から 7:25発の急行立山1号(今はないが)に乗って出発。一番後ろの車両の

一番後ろの席に座っていると車掌さんが

   車掌 : 「きみ 1人?」

   ROOKIE :「はい そうです。」

   車掌 : 「運転台に座らせてあげるよ」

古き良き時代、今じゃ絶対にそんなことしてくれへんやろうなぁ。

あれから19年もの月日が経つが、その時の嬉しかったことは鮮明に覚えている。



公園違い

 最初に降りたのは金沢。次の列車まで4時間あるので家で

祖母に勧められた名勝「兼六園」に行ってみることにした。

駅の案内所で兼六園への行き方を尋ね、バスに乗って兼六園へ向かう。

出発前に祖母に聞いていた話では兼六園とは日本三大名園のうちの一つ。

とても有名だが当時の僕はまだ知らなかった。

「ようするに公園みたいなもんよ」と聞いていた僕は、「三大名園っていうくらいやから

とーーってもおっきなジャングルジムやながーーいすべり台なんかがあるんやろうなぁ。」

なんて思いながらワクワクしながら向かっていた。ところが・・・

着いてみてびっくり、公園といっても日本庭園みたいなもんで僕が期待したような

ジャングルジムやすべり台なんてどこにもない。あーあ、つまんないの。

今思うとなかなか笑える話でしょ。  (笑)



碓氷峠

 午後2時過ぎに上野行き特急「白山」に乗って金沢駅を出発。直江津(上越)から

信越線に入り長野、軽井沢を通って行く。

この軽井沢から一つ東京よりの駅、横川までの区間は碓氷峠(うすいとうげ)と言って

知る人ぞ知るJRでは日本一の急勾配区間。

66.7‰ (1000分の66.7、つまり1000m進むと標高が66.7m上がる)

電車の車両が1両21.3mほどだから1両の前と後ろだけでも1m以上の高低差。

普通の電車や貨物列車は自力では上れず、また下りはブレーキが追いつかず、

補機と言われる碓氷峠専用の電気機関車が3両助っ人として連結される。

6年生の僕にとってはその補機を連結する瞬間が見られるってことにとっても興味津々。

しっかり写真も撮ってきました。

横川駅で売っている荻野屋の「峠の釜飯」は全国にファンがいるほど有名。

この横川駅と軽井沢駅、補機を連結したり切り離したりするので特急といえども必ず5分以上

停車してるので、その間に売り子さんが駅弁(釜飯他)を売りに来る光景が何十年も

続いていた。時は流れて・・・

 1998年長野オリンピックに合わせて開業した北陸新幹線(東京〜長野まで開通)の

開業と同時に横川〜軽井沢の1区間だけ廃止されることとなった。

日本一の急勾配碓氷峠を越える列車、補助機関車の連結、特急列車の乗客が

釜飯を買う姿・・・

どれももう見ることはできない。時間を手に入れた替わりに一つ風情が消えた。

(荻野屋は営業していて峠の釜飯は買うことができる)



まるで貸し切り

 東京と千葉で親戚に会い泊めてもらった。そして1月4日の夜、ついに帰路へ。

品川駅を22:40に出る夜行列車、急行「銀河」51号大阪行き。全席指定席だ。

品川駅のホームに滑り込んできたその列車は、お召し列車と言う

天皇陛下専用列車を牽引するために茶色に塗られた特別な機関車に牽引されてきた。

(普通は青色)

小学生当時でもかなり鉄道マニアだった僕にとって、茶色の機関車がやってきた時の

驚き、また喜びようったらもうすごかったよ。日本に2両しかない機関車やもん。

(今はもうない)

「EF 58 61」 (イーエフ 58の61号機)

10両編成で来たその列車に乗ってみるとなんともガラガラ。

発車後に一番前から後ろまで歩き回ってみたけど、乗客は全部で10人ほどか。

民営化された今のJRでは考えられないなぁ。そういう列車はすぐに廃止になるか

あるいは編成をとっても短くして走らせるか。

同じ車両に乗っていた中学生の2人組と仲良くなっていろいろおしゃべり、なかなか楽しい。

1人で旅行していると見知らぬ人と話す機会がとっても多いよね。それは今でも同じ事



童心

 うちのボンの2歳の誕生日におもちゃを買ってやろうと、郊外の大型のおもちゃ屋に行った。

DNAだろうかうちのボンも電車のおもちゃが好きなようだ。

男性達なら知ってるだろうか、トミカの「プラレール」と言うおもちゃの売場に行く。

その時プラレール発売40周年記念のアニバーサリーモデルと言って昔のモデルが

売られていた。そこで見たものは・・・

「おおっ これは EF 58 61 やんけ〜 (゜o゜)ゲッ!!」

何百両と製造された「EF 58」のなかでお召し用として茶色に塗られたのは60号機と

61号機のたったの2両。

それがプラレールとして売られていたのだ。もちろん即買い。

家に帰ってからプラレールを広げ、うちのボンが電車を走らせているところに混ざって

僕も走らせる。

「取ったらあかんで、これはお父さんのやで!!」

その時僕の心は12歳だったかもしれない。



おしまい


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