2012/04/01 気仙沼・陸前高田・釜石

 3月25日から3月30日にかけて岩手県にボランティアに行ってきました。今回は長男と次男も一緒。
道中、宮城県の気仙沼と岩手県の陸前高田、釜石にも寄って行きました。復興にはまだまだ長い
時間がかかりそうです。震災から1年が過ぎた現地の様子です。


富山県の自宅から岩手県遠野市までのルート。 三陸海岸沿いの赤丸地点は、南側から気仙沼、
陸前高田、釜石です。ルート終点の赤丸がボランティアの拠点となる遠野市



24年3月31日までは東北地方の被災地域の高速道路は全車種が無料でした。
そのせいか交通量も結構多め。



今日の目的地は岩手県の内陸部にある遠野市なんですが、時間があったので、一関で
高速を下り、気仙沼に向かいました。



JR大船渡線 気仙沼駅。 ここにも津波が押し寄せて来たのですが、駅前はキレイになっていました。



気仙沼市街地。海からは結構離れているところなんですが・・・。



市街地からさらに海側へ行くと、もう建物はほとんどありませんでした。



ガレキが積み上げられていましたが、集積所はまだたくさんあり、こんな量ではありません。



住宅の基礎だけが無残に残っています。この辺は住宅がたくさん並んでいたでしょうに。



震災直後は辺り一帯がガレキだらけで、どこが道かもわからないくらいだったのですが、
ガレキは撤去され、道も電柱も新しく作られたようです。



津波の勢いで漂流物がぶつかって壁が壊れたのかな。



JR気仙沼駅の隣の鹿折唐桑駅前付近。 330トンの大型船で、津波被害を象徴する船としてこの場で
保存する計画があるようですが、この船に自宅を潰された付近の住民にとっては、思い出したくもない
船なので、保存計画がどうなるかまだわかりません。



平日でしたが、写真やビデオで撮影している人が何人もいました。レンタルサイクルで来ている人も
たくさんいたので、観光案内所からも案内してるのかな。



花や飲み物など、お供えものが置いてありました。



道路のすぐ脇にあります。倒れないように鉄骨で支えがしてありました。



大船渡線の鹿折唐桑駅。JRは不通のままです。



たくさんのガレキが押し寄せたのか、レールがねじ曲げられていました。



頑丈な鉄のレールがこんなに曲がってしまうとは、ものすごい力だったことが想像できます。



気仙沼では油タンクが丸ごと流され、漏れた燃料に火がついて大規模な火災が発生していました。
枕木にも焦げた後があります。



鹿折唐桑駅の駅舎跡。地震直後は駅舎は残っていたのですが、車が6台も突っ込んでいて、
壊滅状態だったので、取り壊されたようです。



陸中海岸国立公園で眺めのよい景勝地のようです。



津波で流されたのか、地震で倒壊したのか、多くの建物がなくなって更地になっていました。
たくさん基礎残っているところから、住宅地だったようです。



宮城県から岩手県に入って最初の町が陸前高田市です。



陸前高田市も街のほとんどが壊滅状態でした。海沿いの平地には大量のガレキが積み
上げられていました。



陸前高田市の景勝地、高田の松原にも巨大なガレキ集積所があり、山のように積まれていました。
大型重機と比較してもガレキの量がものすごいことがわかります。こんな感じのガレキの山が
いたるところにありました。ホントにすごい量。



奇跡の一本松。ここには7万本もの松が広がる松原だったのですが、大津波の被害で松はこの1本を
残して全滅。7万本もの松の中でたった1本だけ残ったことから奇跡の一本松として復興の象徴に
しようと言う動きだったのですが、塩害でこの松も枯死は免れず再生は不可能とのこと。残念・・・。



元の景勝がどんな感じだったのか想像もできません。奥の方に見えるのが奇跡の一本松。



ここに着いた時は雪が降っていたのですが、急に晴れてきました。



本鋼矢板を打ち込んで土壌改良してこの松を守ろうとしたのですが、努力の甲斐むなしく松の再生は
できなかったようです。



たくさんの花が添えられていました。木札には
「『一本松の願い』 少し休みます 枯れても切らないでね 変わったかたちで甦ります」
と書かれていました。



照明の鉄柱がこんなにぐにゃりと曲がってしまうなんて・・・。



再び陸前高田市の市街地方向です。



4階までは窓やドアが破壊されていたので、この高さまで津波が来たと言うことですが、こんな高さ
まで津波が来るなんて想像もできません。



ここも賑やかな市街地だったハズですが・・・。震災直後はここも一面ガレキの山だったと思うのですが、
ガレキは撤去され、残った建物も取り壊されて更地になっていました。



気仙沼から続くJR大船渡線の陸前高田駅。津波で押し寄せた泥はある程度は撤去されて、
ホームの形は見えるようになりましたが、ここへ再び列車が走る日はいつになるのでしょう。



写真右側が駅舎のあった部分ですが、津波で流されてしまいました。



陸前高田駅前のメインストリート



かつてはこんなに建物があったのに・・・。



駅前右手方向。 写真の左端の白い建物は県立高田高校



高田高校の2階教室



2階廊下



2階教室から見た陸前高田市街地方向



時計の針が指すのは津波が襲った時刻かと思われます



津波でほとんどの建物が破壊されたのと、残った建物もほぼ壊滅状態で取り壊され、さらに
ガレキも撤去してこの状態になったものと思われます。



陸前高田から大船渡へ移動中、仮設の店舗を見つけました。コンビニもあったのでちょっと立ち寄り。



次は岩手県釜石、かつて鉄の街として栄えたところ。



国道沿いの高台に建てられた仮設住宅。


震災から1年が経ち、震災直後と比べると道路が整備されたり、壊滅状態の建物が取り壊されたり
して、少しずつ復興を遂げている感じがしました。しかし元の賑やかな街に戻るにはまだまだ長い年月が
かかりそうです。


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