2011/01/10 お正月休み その2

大晦日の夜から大雪で立ち往生した国道9号線の大渋滞にハマり、裏道を使ったりして
少しだけ前に出てみたりするも、少しくらい進んだところで渋滞の列は延々と続き、
ほとんど進めないまま渋滞の車中にて年越し。一旦引き返して渋滞から離れたところの
コンビニの駐車場で仮眠を取った後、再び西を目指すもまたもや雪で行く手を阻まれ、
結局30時間くらいほとんど進めないまま時間だけが過ぎ去っていったのでした。(^。^;)フウ


1月1日〜2日にかけての移動経路。ほとんど下道です。 (^。^;)フウ


夕べの救出劇を終えた後、とっても疲れたので渋滞箇所から離れるべく、鳥取方面へ戻って行き、途中の
コンビニの駐車場で仮眠を取りました。

そのまま諦めて帰ればよかったのですが、往生際の悪い私は(笑)やっぱりなんとしても出雲大社に
行きたいと言う思いがフツフツと沸き上がり、強引にも早朝5時半にコンビニを出発してまた西へ
向かい始めました。 裏道を上手に使って結構順調に進めたのですが、もう少しで9号線へまた
戻られると言うところで脱輪して動けなくなっている車が道をふさいでいて進めなくなりました。(*_*)
それが午前5時半くらい、まだ真っ暗だったな。

この車はどう見ても人力では脱出不可能だったので、運転手さんも完全に諦めて車の中で救援を待って
いましたが、私は早く前に進みたいのでおそるおそるこの黒い車の左側と通り抜けようとしたら・・・
私もハマッテしまいました。(ToT)ダー ウチの車は脱輪したのではなく、深く積もった雪の上に乗っかって
しまってタイヤが浮き上がった状態で動けなくなっていたので、スコップで車の下の雪を取り除いていたの
ですが、重たい車に押しつぶされた雪は固く締まって氷のようにカチンカチンでスコップの歯が立たず、
どうしようもない・・・とそこへ対向車がやってきました。対向車も私が動かないと進めません。そのうち
後ろからも車がやってきました。それも私が動かないともちろん進めません。

私の車をジャッキアップして一旦タイヤを完全に浮き上がらせ、その下に雪を詰め込み足で踏み固めて、
そこでジャッキをハズしてタイヤが接地した状態で別の車が持っていた牽引ロープで引っ張ってもらい、
ようやく脱出できました。ハマッテから脱出まで3時間くらいかかったな。(^。^;)フウ

偶然日の出の時間帯だけは晴れ間が広がり、ここで初日の出を拝むことに。(笑)
写真は後方へ牽引して引っ張り出してもらって脱出した後の状態です。この後、黒い車の左側の路面の
雪を整地し、私は無事にここを通り抜けることができました。



元日の朝、助けてくれた人達と記念撮影。
自分は長靴もないし手袋もないし、冷たかった〜
{{{{(+_+)}}}}寒ううぅ〜

私のジーンズの膝よりも下が濡れているのが
わかるでしょうか?



脱出して無事に走り出すことができました。前方の車について行きます。 足下がずぶ濡れになった
ので、靴も靴下も脱いで裸足で運転。靴下を車の暖房で乾かしているところ。



国道9号線になんとか出ることができました。渋滞発生の原因となったタンクローリーがスリップした
交差点を裏道を使ってクリアすることができたので、今度は西向きは流れていて東向きが大渋滞
していました。



国道9号線渋滞発生原因となった交差点の近く。対向車線の雪の積もり方を見てわかるかと
思いますが、対向車はまったく動けないまままる1日過ごし、その間にも雪がジャンジャン降り続いた
せいでもう道路が走るどころじゃない状態になってます。車の前の道路に積もった雪を除雪しないと
進めそうにありません。大変そうやなぁ・・・。

米子まで28km、そこまでいけばだいぶ先の見通しも明るくなるのですが、この先またまた動けなく
なっている車がたくさんいて、結局この道で米子へたどり着くことができませんでした。(*_*)



上の写真からほんの2kmほど進んだところでこちらの車線も渋滞。この状態で5時間も待ったの
ですが、まったく動かず。(*_*) マイッタ



30時間以上にも及んだ立ち往生、ニュースでも放送されていたかと思いますが、地元の役場の人達や
自衛隊の人達が救援物資を配ってくれました。これはカンパン。知ってますか? 1人1個ずつ配って
くれました。アリガトウゴザイマス。

対向車線の車が居なくなってます。自分の車線はまったく動かなかったのででしびれを切らせてここで
Uターン。またもや出雲大社を断念して2度目の引き返しとなりました。(*_*)



30時間も立ち往生していると、アイドリングだけでも満タンの燃料が半分くらいまで減りました。
私は幸いにも前日の夜、渋滞にハマル直前にちょうど満タンにしたばかりだったので、ガソリンは
持ちましたが、渋滞発生時に半分以下しかガソリンがなかった車は立ち往生の間にガソリンを使い切り、
暖房も効かない車内で過ごしていたかと思われます。災害救援用の毛布の配付がありました。



希望者には1人1枚ずつ配ってくれました。こんな感じでアルミの真空パックの状態で配られます。
結構コンパクトです。



封を破るとイッキに空気を吸い込み、少しだけ膨らみました。ペラペラですが、毛布としての役割は十分
果たしてくれそうです。



除雪や救援物資の配付に自衛隊も出動していました。元日早々、お勤めご苦労様です。(^o^)ゞ



米子を目前にして諦めてまたまた鳥取方面へ引き返して行ったのですが、なんとこちらでも新たな
渋滞発生。(*_*) もうとことんツイてない。(ToT)ダー この状態で2時間くらいまったく動けませんでした。



この地図の青丸地点が渋滞発生の原因となった箇所。その交差点が通行止めになり、そこを中心に車列がどんどん
伸びていったのでした。赤いルートはその通行止め箇所を回避するべく、私が迂回したルート。もう少しで米子まで
行けるところを大山の南側をぐるっとまわってエライ遠回りしたのでした。



蒜山(ひるぜん)高原付近の道。スキー場がたくさんある地帯なので大雪に慣れているのかしら、
今回の豪雪でもちゃんと除雪が行き届いていてとっても楽に走れました。(^_^) やっぱ雪国は
こうでなくっちゃね。



出雲大社



途中の経過をかなり省いてますが、1月2日の午前3時にようやく出雲大社へたどりつくことができました。
本来ならば12月31日の夜に着いているはずだったので、30時間くらい渋滞で時間をロスした・・・。
写真は出雲大社の直近の商店街。いつもならここは初詣客でいっぱいで車で入ることも出来ない
のですが、大雪の影響かしら全然初詣客がおらず、車で出雲大社の直近まで行けたのでした。



出雲大社の駐車場に着いたのが午前3時過ぎ、疲労困憊だった私はその夜は車中で眠りに就き、
翌朝8時に起きて子供達と出雲大社へお参り。 ウチのボン達は初めてですが、私はここへ来るのも
もう何回目かわからないくらい何回も来てます。(笑)



神社の定番、まずは手と口を清めます。



出雲大社の参道。実は駐車場は本殿のすぐ横にあるのでこの長い参道を歩かなくても
いいのですが、やっぱりここも歩かなあかんやろうってことで、わざわざ車から遠く離れた
出雲大社の正面の入口まで歩いて行って、来た道をまた歩いて戻ってきました。(笑)





出雲大社名物のでっかい注連縄。ホントに巨大です。



この注連縄にコインを投げつけて縄の間に埋め込むと御利益があるようで。



私とボン達の3人で下から注連縄にコインを投げつけました。私とボン2号は結構すんなりハマッてくれた
のですが、長男のボンはなかなかハマらず悪戦苦闘。何回もコインを上に向かって投げつけてました。(笑)



ちらっと虹が見えたよ。(^_^)



出雲大社を後にして、次は山口県の萩市へ向かいました。鳥取では大雪で大変なことになって
いたのに、そんなに離れていないここでは全然雪もなく、とっても穏やかな道・・・天候って不思議ですね。



山口県 萩市



山口県萩市にある松陰神社 幕末の志士、吉田松陰、みなさんご存じですよね?



吉田松陰の松下村塾からは数々の偉人が育っていきました。



資料館内部には吉田松陰の生涯について細かく展示されています。これは幼少時代。



幕府転覆を謀ったと言うことで江戸へ呼び出され、長州藩から江戸へ護送される吉田松陰と別れを
惜しんで見送る弟子達。吉田松陰は幕府の老中暗殺も計画していたのですが、この時の罪状は
密航だったようです。



井伊直弼の安政の大獄で処刑される吉田松陰。
「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
と詠んだ留魂録は有名です。



これが松下村塾、ここで育った人達の中には山県有朋や伊藤博文など、総理大臣になった人達もいます。



吉田松陰と弟子達で力を合わせて自分達で作った小屋だそうです。



出雲大社に続いて2回目のお参り。1月2日でしたが、初詣客でいっぱいでした。



場所は変わって萩城跡。先の松陰神社とともに、15年ぶりに来ました。奥の方に見える石垣が少し
高くなっているところが天守閣があった場所。

関ヶ原の合戦で西軍の総大将だった毛利輝元が、敗戦の後に120万石から37万石に厳封され、
外様大名となった毛利氏を江戸から遠く離れた山陰の遠隔地に押しやると言う幕府の意向によって
ここに建設されたと言うことです。江戸幕府ができた後の1608年の平時に建設された城なのですが、
戦時を意識した構えとなっています。(ウィキペディアより)



天守閣跡の高台まで登ってきました。昨日までの大雪大渋滞が嘘のようにいい天気です。



お堀に面した萩焼きのお店で鯉のエサが50円で
売られていたので2つ買いました。
たった50円なのに1つでこんなにたくさんあるん
ですよ。w(゜o゜)wワオ!!



たくさん鯉がいます。



鯉のエサですがハトも好きなようです。(笑)

「 エサが入っているビニール袋は返してください」とのことだったのでエサやりを終えた後に子供達
が袋を返しに行ったのですが、ボン達が礼儀正しくて挨拶も元気だったことに気をよくしてくれた店主が
さらにもう一袋サービスでくれました。 褒めて使わす・・・(^_^)ヾ(^^ )ナデナデ


旅はまだまだ続きます。(^。^;)フウ


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