2005/05/06 強行自転車320km(後編)
滋賀県に入ってからはほとんど琵琶湖沿い。地図で見ると国道161号線と ほぼ平行して湖岸道路が通っているのでここは眺めのよい湖岸道路を 走ってみることにしました。 連休中とあって各地から行楽客が訪れ、ビーチには アウトドアを楽しむ人がいっぱい。 先に書いたとおり、背中にリュックを背負っていたので肩こりがひどく、また 猛烈にサドルにあたるお尻が痛かったので、近江今津で自転車屋さんを 探し、思い切ってその場でキャリアをつけることにしました。 小さな自転車屋 さんやったけど、結構いろんなパーツを置いていて、遠方から来ていると言う ことでとても親切にしてくれて。 キャリアに荷物を積んで走ってみると、「なんて〜楽なんだっ!!」 ホントはそんなこと出発前にやっておくべきなんですが、なんせ思いつきで 行き当たりばったりで出てきたもので・・・(;^_^A アセアセ 琵琶湖沿いはほとんど高低差もなく、また追い風だったのもあって順調に 距離を稼いで走りました。出発直後からあんなに痛かったお尻も、キャリアを つけて荷物を背負わなくなってから一気に解消。\(^O^)/ヤッター 水分の取りすぎか、あるいは前日からの無理のしすぎかしら体調が 思わしくなく、なんせ朝からウーロン茶とスポーツドリンクしか口にして いないのに腹が減らない・・・どころか気分が悪くて吐きそう。(*_*) 動き過ぎなんかなぁ。 こりゃいかんと浜大津のコンビニでソフトクリームと ゼリー状のカロリーメイトを口にしました。 栄養補給しとかんとね。 補給が利いたのか、少しずつ体調も回復。そこから京都府への境の 前後はアップダウンの連続。(^。^;)フウ 天下の国道1号線へ合流し、 「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも 逢う坂の関」 と百人一首の蝉丸が読んだ逢坂の関もここで越えます。 京都の東山を超える時に、急坂を一生懸命上がっていったら、その先に シートベルト検問をやっていた警察官が 「ちょっとお兄さん、この先歩道がなくなって自動車専用道になるから 向こう側の歩行者用のトンネル使って」 って。ええっ〜 ( ̄□ ̄;)!! 目の前の道路は国道1号線、片側2車線あって車がバンバン走り、 中央分離帯があって警察が見ている前で向こうへ渡るなんて 不可能。ってぇことは・・・今まで登ってきた坂をずーっと下りて横断歩道が あるところまで戻ってからまた上りなおさんとあかんと・・・ 「先に言うてくれよ〜」 トホホ (ToT)ダー |
いくつか峠を越え、1号線を下っている途中に 滋賀県と京都府の府県境があります。 なんか今まで越えてきた府県境ってぜ〜んぶ 峠ばっかり。(゜゜)〜フラフラァ |
京都市内はさすがに大都会。人も車も自転車もいっぱい。 高校時代は京都あたりは自転車でしょっちゅう来ていたので かすかに町並みの記憶がよみがえってきます。 一番変わったのは京都駅かなぁ・・・ 余談ですが、献血好きの私が初めて献血したのが中学3年の時の 自転車ツーリングで寄った京都駅の献血バスだったのでした。 ジュースがほしかったのよん。(笑) しかし16歳からしかできない 献血、中学3年の時にしたって・・・(;^_^A アセアセ |
京都から大阪市内へは国道1号線があるの ですが、私は大阪北部から兵庫県へと進んで 行くので京都市内で分岐して国道171号線へ。 この通称「イナイチ」それはもう数え切れない ほど自転車で走った道でして、私の中では ROOKIE街道って思ってるくらい。(笑) ここから実家までまだ40km以上あるのですが、 勝手知ったる道で退屈しないんで気分的に 楽なのよねん。 |
ついに大阪府に入りました。 ちょっと画像加工してあるので明るいですが、 もう日が暮れる頃の写真。 今回越えてきた5つの府県境の中で唯一 平地で越える府県境。左手は桂川(淀川) 右手には新幹線と阪急電鉄が併走しています。 |
上の府県境で手持ちの飲料水を飲み干してしまいまして。 次に喉が渇いたら買おうかなぁと思っていたのですが、私が 帰省した時は必ず食べるくらい好きなラーメン屋が大阪府箕面市にも ありまして、そこまで我慢すれば、水は飲めるからもうコンビニも 寄らないで行こう・・・と頑張って走っていました。 しか〜し、なかなかそのラーメン屋にたどり着かないのです。 喉は渇くし、でももったいないから我慢しようなんて思ったりして、 結局山崎から箕面までの20kmほど我慢して走ったのですが、 脱水症状になるんちゃうかと思うほど喉が渇いていたので そのラーメン屋でまずはお冷やの一気飲み6杯。(笑) それがたたって・・・ 朝から固形物を何も食べていなかったのでここで栄養補給しようと ラーメンとチャーハンを頼んだのですが、お冷やの飲み過ぎで 胃がおかしくなり、ラーメンを完食できずじまい・・・ 冷たい飲み物の一気のみはダメですね。浅はかなROOKIEでした。 (×_×;)シュン |
大阪府箕面市からはもう完全に私のテリトリー。 箕面市、池田市と来て次はいよいよ実家がある 川西市です。 この写真は国道173号線で大阪府池田市から 兵庫県川西市へ入る府県境なのですが・・・ 99年11月、この先の急カーブで死神に 招かれ、私の弟は帰らぬ人となったのでした。 暇つぶし「主を亡くした家」参照 通ることがあれば 「元気〜??」 とかでも声をかけてあげてください。 |
20:45、ついに実家到着。 よ〜走った〜 やればできるもんだ。 初日は130kmを10時間、2日目は190kmを 15時間で走り続けて2日目にだいぶ無理が かかりましたが、予定通り2日で着くことが できました。 体中の痛みが心地よさとして感じられるくらい 深い充実感。\(^o^)/ |
中一日飛んで6日。 さすがに帰りも自転車で 走って帰る気力は起きず、また朝から本降りの 雨だったので実家近くの駅まで走って行った 後はそこで分解、ゴムチューブで縛って 担いで電車に乗って来ました。 都会の人がいっぱい乗っている電車でこれを やるのはちょっと恥ずかしかったりして・・・ 右手の絆創膏は、梅田へ出てきてから朝方 献血に行って来ました。(笑) 腕が真っ赤に 焼けていたので看護婦さんも気を遣って くれました。 動きやすいように作業服の夏ズボンを履いて います。旅の恥はかき捨てと言いますが、 知り合いに会ったりしたらちょっと恥ずかし かったかも・・・ |
急ぐわけでもなし、帰りは普通電車を乗り継いで 帰ってきたのですが、先日の事故のせいか、 どの電車も必ず2人以上が運転席に乗務し、 すべての信号で指差呼称していました。 2回目に乗り継いだ電車は運転士も車掌も 若い女性。女性運転士って初めて見たので ちょっと驚き。 |
この文章はちょっとマニアックな話なので一般の方は飛ばして いただいて結構なのですが・・・(笑) 久しぶりに電車に乗ったんですが、うれしくて子供のように運転台 の後ろにず〜っと張り付いて見ていました。まず早さにびっくり!! 昔大阪〜京都間は新快速がノンストップで29分、当時は日本全国 すべての在来線(新幹線以外)の特急・急行も含めた中でこの 新快速が表定速度No.1だったんですが、今では新大阪と高槻の2駅 余計に停車するようになったにもかかわらず、大阪〜京都間27分。 速っ!! 車両も最新のもので液晶画面が運転台にありました。 この223系、以前のものよりも10キロ速い時速130kmで運行できる 強力なモーター、にもそれでいて消費電力がとても少ない。 先に乗った能勢電鉄の車両もJRも電圧は同じ1500ボルトなのに 超スローな能勢電鉄の電流は300〜400A、それにくらべてこの 223系は始動時で150A、普通の加速時でも100A、しかも回生 ブレーキで減速の時は逆に架線へ電気を送り返すと言うスグレモノ。 VVVF(可変電圧可変周波数)インバーター制御のモーターで 加減速の段階も無段変速のような制御感覚。 JRはゲージ(線路の幅)が周辺私鉄よりも378mmも狭く、車両の 安定面では非常に不利なのにスピードではことごとく私鉄の負け。 JRやってくれますね〜 しかし最新の車両を投入している東海道・山陽本線と違って、 北陸本線に入った途端、車両のボロっちいこと・・・ サンダーバードやしらさぎなどの特急列車は最新型の車両を 使っているのですが、普通電車は35年ほど前の特急用車両 (583系)や急行用車両(455系)を改造して普通車にしたオンボロ 車両ばかり。 寂しいですね。 マニアックな話、終わり。(笑) |
富山の自宅近くまで切符は買っていたの ですが、雨が止んだようなので、ちょっと手前の 駅で降り、残り15kmほどを走って帰ることに しました。 富山から大阪まで走ってきた ことを思えば15kmくらい楽勝で〜す。(笑) この自転車、かなり高級なものでして、一切 工具を使わず、しかも5分とかからず分解や 組み立てができるんです。 本当は電車に乗る時は専用の輪行バッグに 入れないとダメなのですが、今回はおおめに 見てもらって電車に載せてきました。 |
まだ足が筋肉痛で階段を下りる時などは手すりがないと辛い くらいなのですが、心境としては気持ちいい痛みです。 ちょっとアヤシイ感覚かしら・・・(笑) 自分の能力を100とした場合、常日頃100未満で過ごしていれば、 100以上にはならないと思うんです。110や120くらいの負荷をかけて 少しずつ人間がパワーアップして行くんじゃないかなぁ。 ただ、いきなり150とかですと人間がつぶされてしまってだめですけど。 たまには自分で自分をいじめたくなってしまうROOKIEです。(^^) |