六甲山
2006/10/26 UP
なじみの山 兵庫県に六甲山と言う山がある。100万ドルの夜景と言われる神戸の夜景を望むことが できる山で子供の頃は親とハイキング、高校では遠足で行ったり、地元の人達にとっては きっとなじみ深い山だろう。私が親や先生と一緒ではなく、子供だけで自力で登ったのは おそらく中学3年生の時、しかもロープウェイでもバスでも、また歩きでもなく自転車で 山頂を極めたのだった。高校に入ってからも中学時代からの自転車仲間とは毎日のように 夜になると集まって自転車談義。(^-^) 私が住んでいた大阪市淀川区からは自転車で 六甲山頂までのコースは日帰りにはちょうどよかった。この六甲山、標高は931.2メートル。 今思うとあんなところまでよく自転車で、しかも数え切れないほど登ったもんだ。(笑) 今なら絶対にできそうにない。(やってみたいような気もするが・・・) タイムアタック 六甲山頂へのルートは東六甲ドライブウェイ、表六甲ドライブウェイなどいくつかのルートが あるが、私の家からは東六甲ドライブウェイが山頂までの最短ルートとなる。東六甲の 登り口となる宝塚まではうちからちょうど20km、そこから登り始めて山頂までは約12km。 東六甲ドライブウェイの登り口に阪急電鉄の逆瀬川と言う駅があって、自転車仲間の間では その駅から山頂までの所要時間をよく競い合っていた。初めて自分のタイムを計った時が 1時間35分、中学3年の時から高校を卒業するまでの間に10回くらいは自転車で登った かなぁ・・・一番速かったタイムが1時間12分だったかなぁ。今も交流がある高校の先輩が 当時たたき出したタイムはジャスト1時間、私は一度もそのタイムには届かなかった。 最高速チャレンジ タイムだけでなく、最高速度に挑戦するのもこの東六甲ドライブウェイは私にとっては 最適だった。高校1年生の時にコンピューター内蔵の精度の高い自転車用スピードメータを 買い、そのメーターは最高速度を記録することもできる。自転車でいったい時速何キロ くらいまで出せるのだろう・・・私の好奇心がそこへ向かう。 周辺には五月山、妙見山などいくらでも山はあったが、自転車で最高速を記録するためには 下り坂でなおかつ直線区間が長く続かないと出せない。車やバイクに比べるとブレーキが とっても弱いので、直線が終わって次のカーブになるまでに十分減速しておかないと、 そのままコースアウトして大事故になってしまうから。 これまで何度も走った経験から、東六甲ドライブウェイのある場所が最高速テストに適して いると判断した。ちょっとマニアックな話しになるが、私の自転車は普段フロントギアは歯数 48Tのギアを付けていたが、この日は最高速の記録に挑戦するためにわざわざ52Tの ギアに付け替えて六甲へ向かったのだった。 いつも通りノータッチでとりあえず山頂へ。そしてその帰り道、例の直線下り区間で パワー全開。記録は79.8km/h あと0.2km/hで80km/hの大台に乗ったのになぁ・・・(笑) この79.8km/hと言うのが自転車で出した私の最高記録である。(笑) この時の足の動きはこれ以上速く漕げないって言うくらいペダルをクルクル回していたので、 ギア比をもっとトップ側に組み替えてチャレンジしていればもっと出ていただろうなぁ。 あの電柱まで・・・ ところで、自転車で山を登ると言うのは、歩いて登るよりもしんどい。なんせ自分以外にも 十数キロの荷物を所定の高さまで運び上げると言うことである。当時の私はなんであんなに しんどいことを好きこのんでやっていたんだろう・・・ 自分のことながら今思うと非常に不思議である。 私が高校の時、あるマラソンランナーがテレビで話していた言葉がある。 「マラソンの大会で走っている最中に辛くなったら『あの電柱まで走ったらリタイアしよう・・・』 そしてその電柱まで到達すると『もう1本だけ先の電柱まで行ったらリタイアしよう・・・』と、 その繰り返しでついには完走するんです」 と言う。その話に私は非常に感銘を受けた。それ以来、山を登る時や 自転車で長距離を走る時は今でもその言葉が頭に浮かんでくる。 「あの電柱まで走ろう・・・」 自転車で山を登る仲間達に共通してあった思いがある。以前にもどこかで書いたと思うが 山頂、あるいは峠までノータッチで登ると言うこと。一旦登り始めたら途中で止まったり、 自転車を押して歩いたりは絶対にしない。必ず山頂まで一度も地に足を着かずにペダルを こぎ続けるのである。ハッキリ言って六甲山でこれをやるのは相当根性が必要だった。 そんな時にいつも私は「あの電柱まで走ろう・・・」と言う言葉をいつも頭に思い浮かべながら ペダルを漕いでいたのだった。 初日の出 高校2年の時の元旦、私は六甲山頂で初日の出を見ることにした。もちろん交通手段は 自転車。カメラと3脚を積んで、元旦の午前3時に家を出発、1人国道176号線を北上する。 服装はもちろん真冬のカッコで出発したのだが、逆瀬川から登り始めた途端に汗が噴き出す くらいになった。この際ノータッチは諦めて、途中で服を脱ぐ。激しい運動量でとにかく汗が 止まらないのでTシャツ1枚になって自転車を漕いでいた。初日の出を六甲山頂で見ようと 言う人はとても多く、続々と車が上がっていく。また、私のように自転車で登って初日の出を 見ようと言う人も他にも何人かいて、道中抜きつ抜かれつ。 非常にスローペースではあるが、 順調に走っていた。が、しかし変速をしようとしたらいきなりタイヤがロック、ペダルも漕げなく なった・・・w(☆o◎)wガーン なんだなんだ・・・(・_・?)ハテ 自転車を降りて見てみると、ローギヤに変速した時にロー側にチェーンが寄りすぎて、ローギヤ とスポークの間にチェーンがハマッテしまっている・・・ このトラブルはこれまでにも何度も経験したことがあったので、慌てることもなく、チェーンを 引っ張り出そうとするが、ヽ(^。^)ノアレアレー? 出てこない・・・めっちゃ固いぞ・・・ 普段から自転車には工具を常備していたので、プライヤーを使って引っ張ってみるが 頑固にハマッたのかチェーンが出てこない・・・これは弱った。(*_*) 手を油まみれにしながら悪戦苦闘していると、さっき抜かした自転車がやってきて止まった。 「どうした? 大丈夫か?」 自転車仲間と言うのは見知らぬモノどうしても不思議な連帯感と言うか仲間意識みたいな ものがある。(いまでもあるかなぁ・・・) なんと不思議な事にその人が止まって声をかけてくれた瞬間、チェーンがすぱっと抜けた のだった。「すいません、ありがとうございます。なんとか外れました。(^-^)」 後で聞いた話だが、その時止まって私に声をかけてくれた人は、私の自転車仲間の友達で、 その人が私の友達に 「そういえば元旦の夜中に六甲登ってたら、フリーとスポークの間にチェーン落として ドツボにハマッテたヤツおったわ。(笑)」 なんて話してたらしい。それを聞いて「あ、それ俺のことやわ。(;^_^A アセアセ」 (笑) それからはトラブルもなく山頂に到着した。もうだいぶ明るくなっていて、車も人もいっぱい。 元旦の山頂、気温は氷点下にもかかわらず、Tシャツ一枚でうろうろしている私を見て周囲の 人達は「うわっ 寒そ〜 {{{{(+_+)}}}}」とか 「すげ〜 Tシャツ一枚やで、信じられへん」 とか言う声が聞こえてきた。(笑) いや、だって登り立ての時はほんと暑かったもんでさ。 高校3年生の時の教室からはいつも六甲山が見えた。夕方六甲山の方へ沈んでいく 太陽を見るのがとても好きだった。当時ホントの山頂は米軍の巨大なアンテナ施設が あり、フェンスで囲まれていて一般人は入ることができなかった。そのアンテナはホントに 巨大で、高校の教室の窓からでもはっきりとパラボラアンテナの丸い形が見えていたくらい。 近年高校へ久しぶりにちょっとだけ行ってみた。3年の時の教室には入ることはできな かったが、廊下からでも六甲山が見える。しかし米軍のアンテナは撤去されていて、 高校から見える六甲山の稜線はスッキリしていた。六甲山のホントの山頂部分へ一般人が 立てるようになったことが嬉しい反面、高校時代の思い出の景色のアンテナがなくなった のがちょっぴり寂しくもあり・・・ おわり |